ゴジの発言
「映画は欲望だ!!」

「質問」への「回答」・・・「映画は欲望だ!!」

PKAさんの「質問」に始まる佐々木慶太さん・塚本さんとのやりとり、読みました。
私本人にとっては「なぜ長谷川は20年も映画を撮れなかったのか?/撮らなかったの
か?」という意味の質問でもあるわけで、一言で答えるのは・・・うーん、非常に苦し
くてムズカシイ。
真面目に考えれば、22歳の時、『神々の深き欲望』今村組の土方労働から始まった自
分の「映画人生」トータルを『総括』する作業にならざるを得ないわけで、掲示板の上
で総括しきれるかどうか、甚だ自信がありません。(実は一度試みたのですが、ひどく
落ち込んでしまって、挫折しました。そのせいでこの「書き込み」がずいぶん遅くなっ
てしまった。ゴメンナサイ。)
しかし、ただ「うーん」と唸っているだけじゃ能が無いし・・・以下、私なりに精一杯
の「回答」です。

この20年間、私の中で「面白い映画を撮りたい」という欲望が消えたことは一度もあ
りません。いつも「半年後にはクランクインだ!」の思いで企画を練り脚本を書いてき
ました。それなのに、結果なぜ「たった3本目の映画」が存在しないのか?
自虐的に言えば「それはオマエに才能が無く、そのうえ最低の怠け者で、そのくせ一本
の映画に何でもぶち込もうとする欲張り者で、最悪なのはプロデューサー・出資者に愛
される人徳も無いからだ」となり、ヤケ酒をあおって自分の頭をバンバンするしかない
気分になります。
ここは少し冷静になって、客観的に幾多の「流産」を検証することが大切なのでしょう。
しかし、それぞれの「流産」には、それぞれ固有の状況と理由があるわけで、ここでそ
の全てを説明するのはとても不可能です。中には思い出したくもない「流産」もあるわ
けで、以下つとめてクールに概論的に検証してみます。

映画を作る原動力になるのは「人間の情念・夢=欲望」だと思います。
岡本太郎ふうに言えば「映画は欲望だ!!」です。
「こういう映画を撮りたい、作りたい」という欲望がすべてを転がしていくのです。
問題は「誰の」欲望なのか? ということですが・・・。
映画の成立状況を非常に大雑把に区分けすると・・・プロデューサー主導型と監督主導
型の二つに区分できると思います。(もちろん、監督がプロデューサーを兼ねるという、
苦しいけど幸せなケースもあるが、これにはそれなりの財力or資金集め能力が必要だ。
個人の監督ではムズカシイのなら複数の監督で、作り手が映画製作を主導できるシステ
ムをとトライしたのが『ディレクターズカンパニー』だった。このトライの総括を始め
ると非常に長く重くなりそうなので、これは後日にしよう。)
私自身の「流産」映画も、大きくはこの二つのどちらかになります。

「プロデューサー主導型」の場合、映画をゴーするかストップするかの最終ジャッジ権
はプロデューサーにあるわけで、ましてや「原作権」をプロデューサーが持っている場
合など、プロデューサーに「オマエは必要ない。監督を替えてこの映画はゴーする」と
言われれば、監督には抵抗する力など有りません。(『トラ・トラ・トラ』で黒沢明監
督が撮影中に解雇され、深作欣二監督と舛田利雄監督が起用されて映画を完成させた話
は有名だ。)ハリウッド映画の大半はこのシステムで作られてきたわけですが、日本映
画も近年その傾向が強い。私自身の「最新の流産・・・『ループ』」もこのケースです。
私はこのシステム自体が必ずしも「監督の自由な創作を阻害する悪しきもの」だとは考
えていません。前にも書いたように『映画は人と人の出会いから始まるものだ』と思い
ますが、撮影所映画/プログラム・ピクチャー全盛の時代と比べれば、比較にならない
くらい多種多様なプロデューサー・出資者が存在するようになったわけで、そういう
「未知の新しいプロデューサー・出資者」との出会いは、「新しい映画」の可能性を秘
めています。近年の好例としては、WOWOW/仙頭プロデューサーとJ MOVIE WARS
の監督たちとの出会いがあるのでしょう。
ただ、「映画は欲望だ!!」で言えば、このシステムではプロデューサー・出資者の
「欲望」が最優先するわけで、その枠の中に収まらないもの(具体的には脚本の方向性
あるいは予算が合わないもの)はオミットされていくわけです。この傾向は映画の製作
規模が大きくなればなるほど強くなる。背負うリスクが大きいのだから、当然制約も強
くなる・・・映画は「ビジネス」でもある事を考えれば、当たり前の事でもあります。
私自身の例で言えば、『ループ』は脚本の方向性が合わず、『吉里吉里人』(プロデュー
サー・菅原文太)『PSI』(プロデューサー・山本又一朗)は主に予算問題で流れまし
た。『PSI』は「近藤真彦と中森明菜主演のメロドラマ」という企画の枠の中で書いた
脚本で、その企画自体は『愛・旅立ち』(舛田利雄監督)という映画になって封切られ
ましたし、『ループ』も、近々に誰かが監督して封切られることでしょう。

PKAさんの『映画化できない脚本は、たとえどんなに優れたものであっても、完成で
きた駄作以下の意味しか持ちえないんです。物作りっていうのはそういうシビアな世界
のものでしょう?』という意見は基本的には「哀しき正論」です。私のような要領の悪
い監督でも、プロデューサー・出資者との「ベストな接点」を考えずに脚本を書いたこ
とはありません。しかし、再び「映画は欲望だ!!」で言えば、監督である私の「この
映画を撮りたいという欲望」もまた映画には必要不可欠なものです。まともな「欲望」
の無い映画製作は、監督の私にとっては「萎えたままFUCKを強要される苦痛」に他な
らないし、プロデューサーにとっては「勃起しない男優を起用してAVを撮るような愚
行」だろうし、一番悲惨なのは、そうして出来たツマラナイ映画を見せられる観客でしょ
う。(つい、例えがオチタ。ゴメン。)

監督主導型の映画作りの場合、このあたりの様相は一変します。プロデューサー主導型
のように「発注/受注」の関係ではないから、監督は自分の「欲望」をベストに形にす
ることに、まずは専念出来る自由があります。
今更のように私が言うまでもなく、「面白い映画」のために絶対不可欠なものは「面白
い企画/脚本」です。そしてそれを具体化するために必要なのが「製作費/金」です。
この二つが「良い出会い」をしたときに「面白い映画」は生まれるのでしょう。
シルベスタ・スタローンの『ロッキー』(1本目)は、「優れた脚本はいかに強いか」
の好例です。無名の俳優だったスタローンが書いた脚本を読んだプロデューサーは、当
時売れていたバート・レイノルズ(だったと思う)主演で映画化しようとしたが、スタ
ローンは「自分が主演できないのなら、この脚本は絶対に売らない」と突っぱねきって、
主演デビューを勝ち取った。無名の個人の「欲望」が立派に結実した「面白い映画」だっ
たと思います。その後のスタローン映画は、私にはまったく面白くない。「飢えた者の
欲望」が如何に強いか・・・の証明でもあるのでしょう。

私が20年以上映画化にこだわっている企画に『連合赤軍』がありますが、未だに映画
化のめどは立っていません。私自身も、もう十分に飢えているはずなのに、なぜ形に出
来ないのか?・・・この企画に関する20数年間の経緯すべてを語ることは無理ですが、
底辺にある本質的な問題を自問自答してみます。

私はおそらく「自分と同じ普通の人間の『非日常』を、ロマンとして描くこと」に興味
と欲望を感じるタイプの監督なのだと思います。「普通の人間の、普通の日常を描くこ
と」には、どうも欲望が湧きません。それはおそらく「そんなモノは毎日見飽きてるよ。
現実の世界では出来ないことを、映画の中でやるからドキドキワクワクするんじゃない
か。もともと『現実の世界』より『夢の世界』のほうが楽しいに決まってるじゃん」と
いうガキっぽい気分が原点にあってのことのようです。
「特殊な人間の、特殊な世界を描くこと」も、どうも駄目です。もともと主人公に感情
移入して映画を観たい、素朴で分かりやすい観客であったので、「特殊な人間」には感
情移入できなくて駄目なのです。
サンプルとして『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』を思い出してもらえば、わかりや
すいと思います。(たった2例しかなくて、スマン。)
2作ともに、主人公の青年は特殊な『非日常』を生きますが、根っこの人間性は自分と
同じ普通の青年として描こうとしたつもりです。

で、『連合赤軍』ですが・・・「あさま山荘事件」直後から興味を持った最初の理由は、
実際に起こった事件の主人公たちが、自分自身と同じ「普通の人間たち」に思えたこと
でしょう。もちろん彼らと自分が同時代人だったことも大きいと思います。
私自身は学生運動にはまったく無関心な、麻雀とアメリカンフットボールだけのグウタ
ラ学生でしたし、いわゆる『全共闘世代』にはタッチの差で早すぎた。全共闘運動が一
番盛り上がった68年には、もう『神々の深き欲望』のスタッフとして、一年近く沖縄
に行きっぱなしだったし。だから沖縄から東京に帰って、運動の野方図な盛り上がりを
目の当たりにした時には、正直「しまった、一番面白そうなものに乗りそこねた」と焦
りに似た感情を抱いた記憶があります。
『連合赤軍』に私がこだわる最大のポイントは『同志殺し』なのでしょう。
「何故、オマエたちはあんなことをしたんだ?」という「自分と同じ普通の人間」に対
する疑問を、映画というフィクションのなかで解き明かしてみたいのです。それは「人
間て一体何なんだ?」という疑問であり、「自分は何処から来て、何処へ行くんだ?」
という根源的なウロウロでもあります。
映画『連合赤軍』は、1987年にディレクターズカンパニーで一度クランクイン直前
まで進行しました。当時6800万円で売りに出ていた実在の「あさま山荘」を自分で
3700万円まで値切り(映画のロケセットとして使用するためです。宣伝効果まで考
えれば、決して高い買い物ではない・・という判断でした)、あとは手付け金を打つば
かり、脚本は故田村孟さんの第一稿が2週間後には上がる・・という段階でディレクター
ズカンパニーが致命的な状況に落ち込みました。相米という馬鹿監督が、『光る女』と
いうディレクターズカンパニー製作の映画で、ウン億という大赤字を出してしまったの
です。とても「あさま山荘」を買うなんて状況ではなくなりました。(実質的にはディ
レクターズカンパニーはこの時点でツブレテいたのです。その後数年間は火の車の自転
車操業を続けましたが・・・) 最悪なことには田村孟さんの第一稿が私には大不満の
出来でした。「ゴジ、ディレカンも金無いんだろう?いいよ、クランクイン出来るまで
は俺、ギャラ無しで頑張るからさ」と、泣けるほど真摯につきあってくれた孟さんの脚
本でも、駄目なものはダメです。脚本に対する私の反省は私が提案した「構成」にあり
ました。膨大な量の資料を前に、書けずに苦しんでいる孟さんに「あさま山荘で始まっ
てあさま山荘で終る構成にしようか?『総括』を含めた大切な過去は、主人公たちが人
質の牟田泰子に語る、という形にしてさ」と言う私に「そうだな。それぐらい強引に省
略した構成にしなきゃ、コイツは映画になんかならないよな」と同意して孟さんは第一
稿を書き始めたのです。結果は最悪でした。「回想形」になってしまった「過去」は、
言い訳がましい、まるで力の無いシーンになっていました。「どんな最低の行為=殺人
であっても、人間がドマジでやることは、必ず可笑しくて哀しいはずだ」と、今も昔も
思う私には、リアルな人間描写に欠ける「連赤ダイジェスト」になっているように感じ
られたのです。クランクインを焦って間違った提案をした自分の失敗だと反省した私は
「やり直そう、孟さん。時間軸はいじらずに、どんな膨大なホンになっても、まず個人
史から縦に並べて・・・」と、再度孟さんの説得にかかりましたが、孟さんの答えは
NOでした。「俺はこのホンを最高の戦後革命史だと自信を持っている。もう書き直す
気なんか無い」と突っぱねられると、引き下がるしかありませんでした。2年近く、ノー
ギャラで頑張って付き合ってきてくれた彼のテンションが、もう限界まで来ているのだ
と分かったからです。
結果、「脚本」と「製作費」という映画に不可欠な二つを失って、映画『連合赤軍』は
挫折しました。もし脚本だけでも、あるいは製作費だけでも予定通り存在していたら、
私は強引に突っ走っていたでしょう。「監督主導型」のディレカンだったから、やれば
やれたのです。
ディレクターズカンパニーが完全に倒産してから数年後、河井真也プロデューサーとの
出会いがありました。「学生時代に『青春の殺人者』を何回も観ました」という、私よ
りひとまわり若い彼は、その手に10年も前に流れた『PSI』の台本を持っていました。
どこかの撮影所の片隅に落ちていたのを見つけたというウソのような話を交えながら
「これでも良いんならすぐやれますよ。ともかく監督にカムバックして欲しいんです」
と笑う彼は、私にはまるで救世主のように見えました。『PSI』は私にとって超能力入
門編的な色合いの濃い冒険メロドラマです。(超能力を含めた超常的な現象は、ここ1
0数年来、私にとっては「人間て何だ? いったい何処から来て、何処へ行くんだ?」
という疑問を探る具体的な素材なのです。)
しかし、本来マッチ・明菜用に書かれた脚本は流石に古く、幾つかの「在庫台本」をい
じっているうちに「監督、本当は『連合赤軍』がやりたいんでしょう?やりますか?」
と河井プロデューサーが言います。「本気かよ、コイツ。人をオチョクッとるのか?」
と耳を疑いました。それまでいわゆる「商業映画」のプロデューサーでこんな大胆な発
言をする人間には会ったことがなかったのです。(それくらい世間の『連合赤軍』に対
する拒絶反応は強かった。)「資金集めは大変だけど、オールスターキャストでどーん
とやれば、きっと大ヒット作になると思いますよ」と、あくまで自信ありげです。「上
等じゃないか」と、私は勇んで脚本作りに取りかかりました。今度は田村孟さんとの作
業の轍を踏まないように、時間軸はいじらず、まず個人史から縦に並べて、ともかく一
度すべて吐き出してみようと・・・。何人かの若い助っ人にも参加して貰い、色々な紆
余曲折の末、2年後に存在したのは、そのまま映画にすれば優に十数時間になるだろう
というシロモノで、しかも未完でした。異常な長さの理由は、主要登場人物が多すぎる、
あまりに多くの要素を詰め込もうとし過ぎている・・だったと思います。長い間映画を
撮っていないので、やりたいことが溜まりすぎていて、・・・と言い訳のような反省を
しつつ、『青春編』『死闘編』と2本の映画にして、合わせて6時間以内を目標に再構
成するか?・・・を模索している頃、河井プロデューサーが推進していた「新しい製作
体制」も苦境に陥りました。再び、脚本・製作費という映画に不可欠なものが、二つと
も「難産」状態になってしまったのです。
その後、発注・受注仕事としての『ループ』の試行錯誤で一年近くを無駄に費やし、現
在に至っています。
しかし、『連合赤軍』は、私の中ではまだ「流産」してはいません。未だに「企画進行
中」の最右翼の一本に位置しています。「原作」に依拠する企画ではないし、「監督主
導型」なのだから、私が投げ出さないかぎり「企画進行中」なのです。まずは私が「こ
れなら撮れる・撮りたい」と不退転の覚悟になれる脚本の完成を目指して、現在も練り
直しの作業を続けています。ただ、この企画に関しては製作資金の調達が本当に難しい
ので、そのための「新作戦」が何か必要だろうと考えています。(例えば・・・「不退
転の脚本」が完成したら、それをネット上で公開して「一口一万円プロデューサー」を
募る・・・というふうなゲリラ作戦も併用すべきか?etc.)
何にしても、「脚本の完成」が第一歩だと呻吟しているのが現状です。

「企画を募集しているとはいっても、『連合赤軍』みたいな面白そうな企画が色々あっ
たのに映画化できなかった理由がわからないと、どういう企画なら映画化可能なのか分
からないし、また流れてしまうのが不安で出せない。」
このPKAさんの友人の疑問に答えたことになるのかどうか、自信は有りませんが、
「応募」を呼びかけた私の「義務と責任」だと思って、以上、私なりに精一杯誠実に書
いたつもりです。
ただ、「また流れてしまうのが不安で出せない。」には、流石に「だらしねえヤツだな
あ」と哀しい慨嘆の念を抱かざるを得ませんでした。
映画を「効率良く」作りたい人には、長谷川とのタッグマッチはお薦め出来ません。
長谷川は、「効率」の計算能力よりも、「長谷川とこの映画を作りたい」という「欲望」
の強さに賭けたいのです。

今思うと、20代までの私は異常に「生き急いで」いました。「胎内被曝児」の自分は
必ず早死にする、30までも生きられないと決め込んでいたのです。甘ったれの若者に
ありがちな「ナルシズムに満ちた夭逝願望」と、今なら自己分析できますが、当時はまっ
たく本気でした。でも、生き急いでいたぶん、当時としては早めに監督デビュー出来ま
したし、その勢いのままに30代をも生きたように思います。
「何だ、オマエ。死にゃしないじゃないか?」・・・40歳になったとき、愕然としま
した。「明日死んでしまう」という焦燥感でガムシャラに生きてきたのに、これからの
永い人生、何をバネにして生きていけばいいのか?・・・まるで太宰治の『トカトント
ン』のような、途方に暮れた気分です。オーバーに言えば、『死』への不安・怖れ・憧
憬が薄れたぶん、『生きる』衝動もまた希薄になっていたのでしょう。「映画を撮る」
という欲望も相対的には弱まっていたのかも知れません。
そして今、ぼちぼち「初老」と呼ばれてもおかしくない年齢になって、はっきり心境の
変化を感じています。「おい、もう先は短いぞ。何もしないで、このまま死んでも良い
のか?」と、焼けつくような焦躁感に駆られるのです。でも心配しないで下さい。『死』
を身ぢかに感じるようになっても、肉体はいたって元気です。
大笑いの馬鹿な発見ですが、歳を食ったおかげで、私は今、本来得意な「生き急ぎモー
ド」に入っているようなのです。
「この機を逃さず『3本目の映画』を作ってしまうぞ」と、明るく宣言させてください。

「公募/応募」から、そんなに簡単に映画が生まれるものではないことは、私もディレ
クターズカンパニー時代の「脚本公募」で体験しています。しかしあのトライが無けれ
ば『台風クラブ』という映画は絶対に誕生しなかったわけで、一本の傑作を生んだだけ
でもあのトライの価値はあったと思っています。(ちなみに私は、相米の映画では『魚
影の群れ』も好きです。)

私がこの「企画・脚本公募」でやりたいことは、見知らぬ「欲望」との出会い・ぶつか
り合いです。まだ見ぬ『貴方』の欲望を、具体的な「企画・脚本」という形で、私にぶ
つけて下さい。典型的に「監督主導型」のプロジェクトですから、金は有りませんが自
由はあります。あまり「制約」や「効率」を考えず、自由奔放に発想して『貴方』の欲
望を形にしてみてください。
「金=製作費」の問題は当然ありますが、あまり気にしないで下さい。『救世主』河井
プロデューサーを始め、まだまだ「本気で撮る長谷川」に力を貸してくれる製作者は存
在していると自負しています。問題は「本気で撮る気になれる、勃起できる企画・脚本
の創作」なのです。それさえ在れば、必ず「映画」は転がり始めるのです。

3月4日に受付が開始されたけど、まだ応募作品はゼロのようです。
『貴方』の投げてくるボールに、期待しています。

P.S.「ゆな」さんへ。
> それよりも、監督がこれから何を撮ってくれるのか、それが楽しみです。
> 頑張ってください。
励ましてくれて、ありがとう。頑張ります。
このサイトを「単なるファンサイト」で終らせないためにも、今後は私ももっと努力す
るつもりです。「ゆな」さんも、懲りずに「きつい提案」続けてください。
しかし、「書き込み」ってムズカシイね。「簡単に説明する」つもりが、こんなに長く
なってしまった。これじゃ「駄目な脚本」と同じだと、反省しています。

P.S.「寮美千子」さんへ。
『眉輪』読了しましたか?
面白ければ、私も読む用意ありです。
貴女の感想、教えて下さい。

P.S.「江守」くんへ。
シナリオ作家協会のプロになっているとは知らなかった。
まずはともかく、おめでとう。
近いうちに成島なんかとも一緒に、メシでも食おう。
ところで・・・この「企画・脚本公募」は、プロもOKだからな。
オマエも「プロの脚本」を、どーんと応募してこい。