『田村 孟 人とシナリオ』感想コーナー

投稿感想過去ログ
(2001・11・22〜2006・03・01)


五 味 (男)
  • 投稿日 2006年3月1日(水)01時53分32秒
  • 年齢 40〜50才代
  • 住所 神奈川
大島渚監督の映画「絞死刑」等などを田村孟と共同で脚本を書いた佐々木守
氏が2月24日、内臓疾患のため死去されたそうです。
私は35年前映像に関わろうとする多くの若者をかわいがってくれていた田
村さんのお世話になっていた者の一人ですが、佐々木守さんとも数回お酒を
飲みながらお話をさせていただく機会がありました。
今思えば、田村さんは、ご自分も含めて、現実に書いている作家自体とその
作品の両方に触れさせて、得るものがあると思えるならば得て、そして乗り
越えて行けいうことであったのでした。(私は察しの悪い弟子で当時は気が
付きませんでしたが)
夜遅くまで飲んで、泊めて頂いた翌朝迎え酒のビールを飲みながら、共同脚
本ってどうやって書くのかと聞いたことがあります。どうやらビールで始ま
り、「で、その後どうなったんだよ」と田村さんが佐々木守さんに聞きただ
すのだそうです。そんな調子で佐々木守さんがシナリオにしていたというの
が実情のようです。佐々木守さんは仲人を田村さんにしてもらったこともあ
って、頭が上がらなかったようです。
感想とはちょっと違いますが、佐々木守という優れた共同脚本家が居て、田
村孟が一層冴えていたという関連エピソードです。


あや (女)
「人はもっとどぎついものである」
この帯を見たときの衝撃。そうだ、そうなんだって頷いていた自分。
人間の内面をどうやって表すか。正直行き詰まっていたのだ。

私が脚本家を目指し始めた年に田村氏は亡くなられている。
私が田村氏を知ったのは、恥ずかしいが、「’76年年鑑代表シナリオ集」の「青春
の殺人者」を読んだのがきっかけだった。今書いているテーマに一番近い内容だっ
たことが惹きつけられた理由でもある。
父を殺害した後の母と彼の姿。台詞も凄いが、それよりもト書きの力強さに圧倒さ
れた。こんなト書きがあるのかと正直驚いたし、正当法ではないこのト書きに惹き
つけられた。
型に嵌めることが近道と思い込んでいた自分が情けない。本当は書き手の個性が作
品に全てなんだと思い知らされた。
もう一つの大きな収穫は「少年」のシナリオとの出会い。読み終わって泣いてい
た。あの空気は同郷として切ない。体の中を妙義下ろしの風が吹き抜けた気がし
た。
仲間と作品、そしてエッセイ。人となりが伝わる内容だった。中々道がが見出せっ
ず不甲斐無さに悩んでいた自分が出会うべき本だった。本当に感謝しています。
出来れば直接お話を聞きたかった。それだけが残念でなりません。


池窪弘務 (男)
白昼の通り魔、シーン1 曇り硝子の戸を読んだ時、ショックを受けた。奇妙な言
い方だが、こんな書き方をしてもいいのだと。そして、シナリオも立派に文学とし
て成立するのだと確信した。シナリオは具体化されなければなんの価値もないとよ
く聞くが、人物の心理、光景まで細かく踏み込んだこのシナリオは良質な文学であ
る。僕の座右の書となった。「日本シナリオ文学全集のこと」の章でもシナリオ文
学論が追求されている。ああ、今まで僕は、葉脈だけの葉っぱのようなシナリオば
かり読んでいたんだなあ。また、書いていたのかもしれない。葉肉を成長させた
り、落葉させたりするのは、みんな演出の仕事だと思っていなかったか。僕らは面
白いストーリーだけを考えればいいと。独立性を放棄した時、具体化されなければ
なんの価値もないとうそぶくのだ。小説のようにシナリオはもっともっと書かれる
べきだし、読まれるべきだと思う。独立した価値観を持つシナリオとそれを演出す
る者との葛藤があって、初めてよい作品が生まれるのだと思う。「青春の殺人
者」。海岸を行く、アイスキャンディ売りのちりんちりん。かけよる子供、母。シ
ナリオでは、気のないやり方で、鐘を鳴らす父の姿だけだ。長谷川監督は、アイス
キャンディ売りのちりんちりんに家族の姿を撮った。田村さんは、父子を書いた。
「青春の殺人者」のシナリオを読んで、60年安保の世代と学生運動の世代が格闘
するのを見たような気がする。



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