誰でも日記過去ログ
078〜087


[87] ウィークエンド・ラブ 第90回 投稿者:ラスタマン 投稿日:2004/09/20(Mon) 23:16  

 8月30日〜9月20日。

 “ゴールデン・ボーイ”と呼ばれたボクシング界最高のベビーフェイスは、たった一発のボディブローに沈んだ。
 9月18日、米国ラスベガスMGMグランドガーデンで行われたボクシング4団体統一世界ミドル級タイトルマッチだ。
 “ゴールデン・ボーイ”ことオスカー・デラ・ホーヤにとっては、6階級制覇をなしとげた後のミドル級の統一戦ということだが、前回のミドル級タイトルを奪取した試合も判定勝ちだし、フェリックス・トリニダード、シェーン・モズリーとの敗戦のイメージも未だ生々しくどうにも背水の陣という感じがした。
 ましてや対戦相手はそのフェリックス・トリニダードを叩きのめしたバーナード・ホプキンスだ。
 この試合のことは、80年代最高のスーパーファイトだったシュガー・レイ・レナードVSマービン・ハグラーの試合に例える人が多かった。
 デラ・ホーヤは試合前のインタビューでこう言っている。
 「『レナードはハグラーにどうやって勝つんだ?』といろんな人が言っていました。
 体は小さいしパワーでも負けているので勝つことが不可能と思われていました
 誰もがレナードの敗戦を予想していましたが
 ボクシングは何が起こるかわかりません
 レナードにもきっとチャンスがあるはずだと私は思っていました
 レナードがハグラーに勝ったのを見て
 大いに鼓舞され 励まされました」
 レナード、ハグラーのスーパーファイトは、堅実で地味だが圧倒的な強さを誇っていたハグラーを華麗なスーパー・スター、シュガー・レイがポイントアウトした試合だ。
 その試合も、リアル・タイムで見ていて、レナードの勝ちは確かだったのだけれど、それはあくまで“うまさ”と“タクティクス”でポイントアウトで勝ったのであって本当に強いのはハグラーだなと思わせる内容でもあったのだ。
 デラ・ホーヤがそういう足と手数とスピードに徹しきった戦い方をやりぬけたならレナードのように判定勝ちもありうるのかなと思った。
 バーナード・ホプキンスは悪役に徹しきった。
 試合前の公式会見ではこんな風にコメントした。 
 「俺はこの対戦をするために生まれ育ってきたんだよオスカー
 君が親から授かった才能は確かにすごい
 勝利への意欲も体力も尊敬に値するほどだ
 でも他の奴らと俺とでは全然違うのさ
 俺はあらゆる手段で相手を破壊するんだ
 オスカーは俺のことを「いじめっ子」だと言った
 なら俺が「ダイナマイト」に見えるような試合をしてみろ
 「いじめっ子」の俺に立ち向かって来い!
 なれるものならスーパーヒーローになってみろよ
 オスカー ガウンをバッチリ決めてきな
 試合後は顔がボコボコになってるだろうから
 ファイトマネーで新しい顔でも作ってもらえよ」
 否、今回に限らず、ホプキンスはずっと悪役だった。
 ホプキンスは17歳の時に殺人未遂とレイプの罪で5年間くらいムショに入っている。
 リング上の戦いでも勝つ為に、かなりえげつない攻め方をする。
 パンチの後に頭をぶつけようとし、その直後にクリンチで相手を抱え込んでしまう。
 こんなホプキンスを相手にデラ・ホーヤがまともに打ち合うはずがないと思っていた。
 しかしデラ・ホーヤも並の選手ではなかった。
 足を使って逃げることなどせず、単発のホプキンスのパンチに対して速射砲のような連打で迎い撃った。
 しかし、相当体力を使うその戦法は、徐々に体力差をあきらかにしていった。
 9ラウンド、ホプキンスの頭ごと飛び込むような左ジャブのあとテレビカメラのどの角度の映像からでも判りにくい左ボディフックがえぐりこまれ、ベビイフェイスのスーパースターは、崩れ落ちリングでのた打ち回った。
 カウントアウトの後も立ち上がることができず、うつぶせにうずくまったままキャンパスを悔しそうに何度も叩いた。
 デラ・ホーヤ初めてのKO負けだった。
 こうして、アメリカのムショ上がりのボクサーはフェリックス・トリニダード、オスカー・デラ・ホーヤという二人のラテンの英雄をKOで葬ってしまったのだ。
 86年、87年頃ホプキンスと共に練習していたティム・ウィザースプーン(元世界ヘビー級チャンピオン)は、当時のことをこんな風に言っていたことがある。
 「まだアマチュアだったバーナードも、同じジムで練習していたんだ。ヤツ、刑務所を出たばかりでね、ボクシングでモノにならなかったら、もう生きる術がないっていう状態だった。まぁ、ゲットーの住民なんて、皆、似たようなものなんだけどさ」
 この試合は、ムショ上がりでボクシングだけが生きる術だったダーティーな王者が、オリンピックの金メダリストで華やかにプロの世界に入って来て6階級制覇という名実ともにスーパースターとなったハンサムでナイスガイというこれ以上はないというベビイフェイスを完膚なきまでに叩きのめした試合だった。
 
 見た映画。 

 「溺れゆく女」(98年 仏)
 途中ウトウトしてわからなくなった。
 もう一度見直さないと何とも言えん。

 「ムッシュ・カステラの恋」(99年 仏)
 色恋に夢中になっている男の姿を一番“かわいい”と思ってやれるのがフランス人なのだろう。
 ま、外人の女を口説くのに英語の勉強するってのはやってみたい気がするが・・・。

 「トゥームレイダー2」(03年 米)
 ちょっとでたらめな女性版インディ・ジョーンズで、何も考えずに楽しめたらいいのだろうが、今回のは主役のララ・クロフトの恋愛沙汰が絡まされているのが新趣向。

 「二重スパイ」(03年 韓国)
 亡命を装い韓国に潜入した北朝鮮スパイが、同胞の女性スパイと活動し恋に落ちるが、仲間の裏切りにより南北双方から追われ、女との逃亡先で射殺されるまでを描く。
 「冬のソナタ」は見たことないけれど、韓国はメロドラマがうまいということをこの映画でも確信させられる。
 スパイという非情になりきることの任務を持つ人間だからこそ恋愛が切ない。
 極端に言い切ってしまえば、恋愛映画なんかに恋愛は描けない。
 ハードボイルドアクションだからこそ恋愛が描けるのだ。
 さらにこの映画が素晴らしいのは男女の恋愛だけでなく、今はたまたま分断された国になってしまったが、それでももともとは同じ仲間だった者への痛切な思いがあるからなのだ。

 「藍色夏恋」(02年 台湾 仏)
 親友の恋の告白を手伝ううちに相手の男の子から告白されて、親友への気持ちと自分の感情との中でとまどい揺れ動く女子高生を描いたもの。
 ありがちな話だし、ハードボイルド映画ファンを自認する者としては認めたくない世界なのだけれど、不覚にも胸キュンになってしまった。

 「淑女は何を忘れたか」(37年 松竹)
 夫人(栗島すみ子)に頭の上がらない大学教授(斉藤達雄)が、酒を飲み煙草を吸う現代っ子の姪(桑野通子)と結託して夫人を追い詰めてしまう話だ。
 小津の作品は、「東京物語」とか「東京暮色」とかは凄いと思うのだが、「晩春」とかこういう作品とかの登場人物はどうにも苦手だ。
 “どうでもいいじゃないか”としか思えないのだ。
 松竹ヌーヴェル・ヴァーグ派のように政治意識の高い人間ではないのだが、ここに出てくる連中を見ていると自分の生活のことばっか見てないでもっと世界を見ろよとか説教したくなってくる。

 「座頭市物語」(62年 大映)
 1作目は初めて観た。
 以降の作品にも出てくる平手造酒との戦いがやっと見れたということだ。
 
 「酔っぱらった馬の時間」(00年 イラン 仏)
 クルド人兄弟の過酷な生活をほとんどドキュメントと思える映像でつづる。
 良識的にいくらでも大絶賛できる作品である。
 しかし、そのことを口にすると「あなたはこういう世界の現状を見てどう生きるのか?」という問いひき受けなければいけない気がするのだ。
 地球のどこかで貧困にあえいでいる人間がいても私は明日“自分が楽する”ことを考えてしまう。
 それでも「『酔っぱらった馬の時間』は素晴らしい映画だった。小津作品も大好きだ。」という人間よりかは、少しばかり世界のことを考えているのかもしれない。 

 「禁断の惑星」(56年 米)
 人間の潜在意識にあるものを具象化するということでポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」の先駆的な作品になるということで評価の高いSF作品である。
 気になってハヤカワ文庫の「ソラリスの陽のもとに」を引っ張り出してきたのだが、これが書かれたのが1961年ということだから、本当にレムは「禁断の惑星」を見て「ソラリス」を思いついたということも考えられるのだ。

 「ワイルド・スピードX2」(03年 米)
 サツの囮捜査に協力させられるが、きっと組織もサツも煙にまいてゲッタウェイすることだろうと思ってみていたら、何とサツの協力をきっちり勤め上げてみせて、組織の大金の少しばかりをちょろまかしただけで喜んでいるバカなのであほくさくなった。

 「フレディVSジェイソン」(03年 米)  
 この手のスプラッター怪人ものの行き詰まり感は否めない。
 次に「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスをいれて3大怪人地上最大の決戦とかやればいいだろう。
 日本のインディーズ系のプロレス団体のマスクマンで使えそう。

 「ミッション・クレオパトラ」(02年 仏)
 スケールはでかく、大金をかけたのだろうがその割りにちっとも面白くないコメディ。
 「アレックス」のモニカ・ベルッチのセクシーなクレオパトラの衣装のみが見もの。

 「シャロウ・グレイブ」(95年 英)
 ひょうなことで手に入れた大金が元で殺し合いにまでいってしますルームメイト3人の話。
 屋根裏に閉じこもってしまう会計士が面白い。

  「たまゆらの女(ひと)」(02年 中国)
 詩人との情熱的な愛と別れ、そして獣医という別の男の出現の中で揺れ動いていく女性(コン・リー)を描く。  
 クロード・ルルーシュの「男と女」もそうだったけど、若く恋に燃えている時は、その人に逢える為なら片道10時間の汽車でも苦にならないものなのだ。
 女はこれでいいのかもしれないが、詩人も獣医も一緒に酒を飲みたい男には見えない。
 ま、たいていの恋愛映画に登場する男たちがそうであるが・・・・・・。

 「黒の盗賊」(64年 東映)
 大川橋蔵が“黒の盗賊”と呼ばれる義賊と、生き別れになって今は旗本になっている瓜二つの弟との二役をやりそれぞれ入れ替わったりして活躍する時代劇。
 監督は“霊感商法”“集団結婚”のあのカルト教団のビデオ製作にも関わっていると噂のある反共思想の強い井上梅次。

 「純情部隊」(57年 東映)
 力道山主演で軍隊時代を経てプロレスラーとして活躍するまでを虚実まぜこぜで描いている。
 際物だが、監督がマキノ雅弘で見応えがあった。

 「極私的エロス 恋歌1974」(74年 疾走プロダクション)
 公開当事、「キネマ旬報」での紹介文を読んで、その内容の凄さに是非観たいと長年思い続けていた“幻の作品”のひとつ。
 「ゆきゆきて、神軍」のずっと以前のことだ。
 中古の店でDVDが安く売られていたので買ってきて見た。
 そういう意味で簡単な感想で済ませていてはいけないと思っているのだが、深く考えて言葉をまとめている時間もない。
 残念だけど今回は逃げる。
 
「サイドウォーク・オブ・ニューヨーク」(01年 米)
 ドキュメントタッチのインタビューを交えながらそれぞれの恋愛群像を描いたもの。
 女性週刊誌の安っぽい恋愛記事みたいな意識しかない連中のドラマにしか見えなかった。

 「ダーク・ブルー」(01年 チェコ 英)
 チェコの空軍の教官とその教え子のパイロットという二人の男と英国人女性との三角関係を軸に描いた戦争もの。
 ハリウッド映画にはないテンポが妙に心地よい。

 「トゥー・ウィークス・ノーティス」(02年 米)
 たいした美人でもないけど「スピード」以降こうやって主役をはり続けているサンドラ・ブロックの根性には感心する。
 渋滞道路の中でテニスウェアのままお腹が痛いのでトイレに行きたいと言い、ヒュー・グラントに抱えられながらキャンピングカーに運び込まれるという下品なネタなどなかなかやりたがらんだろう。

 「KEEP ON ROCKIN' キープ・オン・ロッキン」(02年 東映)
 一時は人気のあったバンドのボーカルが故郷の父親の死を機に家業を受け継ぐドラマ。
 初めから結論の見えている臭くてダサいロック映画だが、どうもこういうもう一度やり直そうとする人間のドラマは嫌いじゃない。
 やっぱり私は、コンサバティブな人間なのかもしれない。

 「西洋鏡 映画の夜明け」(00年 米 中国)
 映画が自ら「映画って素晴らしい」と言っているのは、好きになれない。

 「CALLE(カジェ) 54」(00年 スペイン 仏 未公開)
 ラテン・ジャズのミュージシャンの紹介と演奏のドキュメント。
 詳しくない者にも相当のものだとわかる見事なドキュメントだ。
 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」以上のものかもしれない。
 コルトレーンのような顔をしててキース・ジャレットのような澄んだピアノを弾く黒人ミュージシャンの凄いこと凄いこと。

 「ブロンドと柩の謎」(01年 カナダ 独 英)
 ハリウッドスキャンダル史上有名な新聞王ハーストがセレブを招待した船上でのパーティーで愛人で女優のマリオン・デイヴィスを殺した事件を描いたもの。
 チャップリンの助平野郎ぶりが見もの。 

 「スナイパー」(02年 カナダ 独)
 高校で起きた銃乱射事件で娘を殺された父親ウェブズリー・スナイプスが、銃製造業者の人妻を人質のように操り、社会に銃規制を訴え最後に自殺するサスペンスもの。
 利口な「ボウリング・フォー・コロンバイン」より、こういう馬鹿野郎のやり方の映画の方がやっぱり好きだ。
 テロリストは、社会のシステムにのっとって戦うことが嫌いな孤独な人間でもある。

 「2LDK」(02年 ザナドゥー)
 2LDKのマンションに同居している同じタレント事務所に属する野並真帆と小池栄子の対立を描いている。
 低予算丸出しのドラマだが、二人の根性ある女優のやる気が結構凄い。 

 「ブラック・ダイヤモンド」(03年 米)
 クラブの格闘技イベントにUFCのティト・オーティズとチャック・リデルが戦っていたのには驚いた。
 この映画の中ではティトが倒れたリデルをたこ殴りにしていたけど、実際のUFCでもこの映画の後、戦うことになり、その時はチャック・リデルが勝利している。
 そういえば「オーシャンズ11」でも後に実際に戦うことになったレノックス・ルイスとビタリ・クリチコが映画の演出として戦っていたっけ。
 本戦では、クリチコの傷によりルイスの7ラウンドTKO勝ちだった。
 主演のジェット・リーが対戦しそうになったのが何とランディ・クートゥアだ。
 これらUFCのチャンピオンクラスの大物が束になってジェット・リーにかかっていくのだが、それをそれほどの苦戦せずにジェット・リーが裁いてしまうのだから微笑ましいではないか。



[86] その5 宅間守、死刑執行 投稿者:サンダーロード 投稿日:2004/09/17(Fri) 03:33  

大阪のいわゆる小学校児童殺傷事件を起こした宅間守の死刑が、14日に執行されたというニュースを先日見た。
非常に短いニュースだったのが印象的だった。

事件が起きたのは平成13年6月8日、
死刑が確定したのは2年後の平成15年9月12日つまり去年、
死刑の執行が今年平成16年9月14日。
確定から1年で死刑が執行されるのはかなり珍しいという。

執行の時の彼はどんな様子だったのだろうか。


[85] その4 『IZO』から、三池監督に関する雑感 『日本黒社会』は傑作 投稿者:サンダーロード 投稿日:2004/09/14(Tue) 03:02  

先日、渋谷のシアターイメージフォーラムで『IZO』を観た。
何かと話題の映画だが、マアマアという印象。
三池監督作品はごく一部しか見てないが、
常に見応えのある作品は作るけども、
いつも一本の映画としての物足りなさを感じてしまう。
やはり作る本数が多すぎるからではないだろうか。
バイタリティの面ではいつも感心してしまうが、
「期待して観ていると最後に肩透かしをくらう」、
というのが三池監督作品の印象だ。
『IZO』も大変な力作だが、
何かが物足りない。
イベント以上の力を映画から感じ取れない。

『デッド・オア・アライブ』
『新宿黒社会』
『極東黒社会』
『ブルース・ハープ』
『オーディション』
『漂流街』
『ビジターQ』
『殺し屋1』
『烈火』
『極道恐怖大劇場 牛頭』
は、どれも見所はあるが、1本の映画として物足りない。

観た中で割と好きだったのが『デッド・オア・アライブ2』だ。
周りの人間でこの作品がイイという人は一人もいないが、
センチメンタルで非常に本気度の高い映画だと感じた。
『デッド・オア・アライブ犯罪者』のファンは多いが、
私はあれを劇場で見て大変ガッカリしてしまった。
あのラストは短編のラストだ。一発モノだ。
あれは「壊す」だけで終わっている。
長編映画として耐えられるラストではない。
「こんな映画があるよ」「こんな映画を観たよ」という
イベント的な面白さは確かにあるが、
一本の映画としては確実に物足りない。
なぜみんなあれほど褒め称えるのか不思議でならない。
なにしろ批判的な評を目にしたことがない。
なぜだ?
『2』の方が明らかに映画としてのテンションが高い。
「壊す」だけなら短編でいいのだ。
壊した先にあるものを、長編ならば描いて欲しい。
竹内力と哀川翔は地球をぶっ壊したあと、
どうなったのか?どうしたのか?
私はそれが見たかったし、
それを描いてこそ長編映画としての価値がある、
と私は思う。

そんな思いをさせられつつも、『日本黒社会』は傑作だった。
三池崇史の本質はセンチメンタルなものではないか?
この作品も『デッド・オア・アライブ2』同様、
非常にセンチメンタルな色合いが濃い。
本気を出すとセンチメンタルな作品になるように思える。
センチメンタルとはいえ、その世界は非常にドライで、
絶妙なバランスを保っている。
主演の北村一輝が最高にカッコイイ。
寝転がってビデオで観ていたのだが、
いつのまにか引き込まれてテレビの前に座っていた。
寝転がってる観ているグウタラ男を起き上がらせ、
画面へ釘付けにするだけの力が、『日本黒社会』にはあるのだ。
俺が見た三池崇史監督作品では、
『日本黒社会』がダントツ1位だ。


[84] その3 男はハーモニカ! 『ウエスタン』 投稿者:サンダーロード 投稿日:2004/09/13(Mon) 00:40  

先日『ウエスタン』のDVDを購入し、生まれて初めて鑑賞した。
ちなみに日本語吹き替えバージョンで見た。
すっげー。
おもしれー。
しっぶー。
あの元売春婦、グッとくるなあ。
男だなあ。
やっぱ男はハーモニカだな!

脚本にダリオ・アルジェントが参加してるってのが面白い。
『シャドー』や『フェノミナ』の監督が、
『ウエスタン』やってるなんて。
どのへんをアルジェントが書いたんだろう。

個人的にはユーモアの多い『続・夕陽のガンマン』の方が好きだけど、
『ウエスタン』も渋くていいなあ。
映画だなあ。


[83] その2 華氏911 投稿者:サンダーロード 投稿日:2004/09/12(Sun) 01:48  

先日、新宿歌舞伎町の劇場で『華氏911』を見た。
見始めてまず最初に感じたのは、せわしなさ。

監督のナレーションによって次から次へと様々な映像・情報が提示されるので、字幕をしっかり読み作品背景をしっかり把握しようとすると、凄まじい集中力が必要となる。
これは英語力が無い俺のような奴にはちょっとツライ。
政治オンチだからなおさらツライ。
だいたい字幕ばっか見るのでなかなか映像を楽しめず、何とか映像も見ようと頑張るとアワワアワワとなってきてしまって、とてもじゃないがゆっくりご鑑賞ってな感じにはなれない。
インタビュー部分や取材部分は落ち着いて見れるが、大半は収集された映像のコラージュをマイケル・ムーアのナレーションで繋いだものだから、疲れてしまう。

ま、アメリカのドキュメンタリーなのだから仕方のないことだとは思うが、俺は感情的興味を持続することができなかった。
しまいには中盤ごろに少し眠ってしまった。

それにしても、随分と真面目な映画だった。
監督がこの映画でやりたいのは『映画のロマン』ではなく『現実のロマン』だと感じた。
テンポの良さとナレーションによるツッコミのブラックユーモアで娯楽映画として見れるようにしっかり仕上げているとは思うが、その裏の感覚、何だろう、「真面目な感覚」とでもいうか、それがどうにも気になって共感できなかった。
抽象的だが言葉で表現するとそんな感じだ。

イベントとしての娯楽機能は、話題も呼んだし充分果たしていると思うし、俺もイベントとしては楽しんだ。
だが眠くもないのに眠ってしまったのは、やはり映画としての魅力に乏しかったからではないだろうか。
少なくとも浮ついた気持ちでこの映画を見に来た俺は、それ以上の映画的興奮で引き込まれはしなかった。
浮ついた気持ちは冒頭10分でもう満足した。

『華氏911』、俺の記憶には残りそうにない。


[82] その1 ラブホテルでサンダーロード 投稿者:サンダーロード 投稿日:2004/09/11(Sat) 03:54  

先日、横浜中華街のそばのラブホテルに泊まった。
プラズマテレビがあることをネットで調べていたので、
レンタルした「狂い咲きサンダーロード」を持ち込んだ。
彼女は酔いつぶれて爆睡。

残念ながらプラズマテレビではなかったが、
それなりに画面の大きなテレビがあったので、さっそく鑑賞。
いまだこの映画をフィルムで見たことがないのが残念だ。
中二のときに初めて見てダビングしてから何度も繰り返し見たが、ここ2年ほど見ていない。
ホテルのテレビは今まで見た画面の中でいちばんデカイ。
せっかくなのでこれでもかというくらい大音量で見た。

久々の山田辰夫演じる仁にシビレた。
映画は思った以上に、大迫力だった。
やはり画面はデカイ方がいい。

「狂い咲きサンダーロード」、
俺のベスト3の一本。
「こうなったら俺たち3人だけでやったろうじゃねえか!」
「街じゅうの奴ら、全員ぶっ殺してやる…」
涙が出るほど最高だ。
いつか劇場で見てみたい。


[81] ウィークエンド・ラブ 第89回 投稿者:ラスタマン 投稿日:2004/08/30(Mon) 00:09  

 7月20日〜8月29日。

 やっと「ザ・ワールド・イズ・マイン」(新井英樹)小学館ヤングサンデーコミックス全14巻を読んだ。
 かつてこのサイトでゴジからあるチャットを前に読むことを課題とされていた漫画だ。
 古本屋「ブックオフ」に出かけては漫画本を買って来る長男に安く全巻そろえてくれるように頼んであり、そろえた長男は先に読み終え「凄い!凄い!」と騒いでいたので気になっていた。
 23日(月)から27日(金)の5日間、通勤電車の中で読んだ。
 読み終えて、長男に「これは『NHK BS漫画夜話』でとりあげることもできんような危(やば)さやないか!」「誰か犯罪犯した奴の部屋にこの漫画がおいてあったら発禁処分になるのと違うか?」「大友克洋がくだらないアニメで無駄な時間を費やしとる間にこんな凄い奴が出て来とったんやなあ。」と話した。
 “トシモン”と呼ばれる二人組のテロリストの話だ。
 殺戮と破壊の限りをつくす二人組の一人モンに共鳴した世界の“モン・ムーブメント”によって地球が壊滅するまでを描いている。 
 ラスト近くで二人の過去が語られるのだが、特にモンの方のドラマは応えた。
 モンは“流れ者で淫売”の母親から生まれ、後に捨てられて、名前も戸籍もないまま生きてきていたのだった。
 アダルト・チルドレンで親に捨てられた子供が地球を壊滅させてしまったということなのだ。
 ここまできっちりと親に捨てられていたのなら、私も世界を凍らせることができていたのかもしれない。
 「連合赤軍」が完成した後のゴジの次の候補作として強くプッシュしておきたい漫画だ。 

 見た映画。

 「座頭市」(03年 松竹)
 大好きな座頭市でも北野武がやってしまうとこんなのになってしまうのかとがっかりした。
 座頭市役のビートたけしがいずれ雌雄を決することになるであろう浅野忠信とのことについてガダルカナル・タカに語るシーンがある。
 「奴と俺が夜の闇の中で戦ったら、どっちが勝つと思う?クックックック」
 その狡猾な発想とあえてそれを人に問うという態度にどうしてもこの座頭市を好きにはなれないと思った。
 ラストでは、いんちき盲であったというシチュエーションにまでされてしまう。
 こんな“なんちゃって座頭市”など天国の勝新にぶった斬ってもらいたいばかりだ。 

 「大砂塵」(54年 米)

 「秘密の花園」(03年 ケイエスエス)

 「サハラに舞う羽根」(02年 米 英)

 「眠る男」(96年 SPACE)

 「チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル」(03年 米)

 「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(02年 米)

 「ティアーズ・オブ・ザ・サン」(03年 米)

 「アダプテーション」(02年 米)

 「風の中の牝鶏」(48年 松竹)

 「オサムの朝(あした)」(99年 シネカノン) 

 「メトロポリス」(01年 東宝)

 「ソラリス」(02年 米)

 「山猫は眠らない2 狙撃手の掟」(02年 米)

 「フリーダ」(02年 米)

 「サクラ大戦 活動写真」(01年 東映)

 「ケンタッキー魂」(49年 米)

 「ファイナルファンタジー」(01年 米 日)

 「2 days トゥー・デイズ」(96年 米)
 
 「コンフェッション」(02年 米)

 「さよなら、クロ」(03年 シネカノン)

 「ナイン・ソウルズ」(03年 東北新社=リトル・モア)

 「トーク・トゥ・ハー」(02年 スペイン)

 「右門捕物帖 蛇の目傘の女」(63年 東映)

 「パンチドランク・ラブ」(02年 米)

 「華氏911」(04年 米)
 小泉がこの映画のことを「特定の政治的立場からの作品は見たくない」みたいなことを言っているのをテレビで見た。
 「突入せよ!「あさま山荘」事件」の時には涙ながらに絶賛していたので、「何を言ってやがんだ!」と思った。
 しかし、マイケル・ムーアがブッシュを追ったようには、小泉の首尾一貫しない態度とかダメなとことかを追っかけたいという気にはならない。
 ただ殴ってやりたいだけだ。
 「華氏911」は、確かに面白い映画なのだが、私が違和感を禁じえないのは、マイケル・ムーアが大衆運動による政治変革を信じているところにある。
 マイケル・ムーアは、ブッシュや前回のチャールトン・ヘストンの愚かさをおちょくるように面白おかしく巧みにフィルムを編集して私たちに見せてくれる。
 そのことで私たちの政治意識にうったえる。
 そういうマイケル・ムーアの有り様が、どうにも労働組合の偉いさん的に見えて気に食わない。
 私は、気に入らない奴を策を講じて追い詰めて行く輩より、気に入らない奴を後先考えずに殴る輩の方がどうにもすきなのだ。
 この映画のマイケル・ムーアのやり方よりも、例えば「ザ・ワールド・イズ・マイン」のようなテロリストの有り様の方を清潔に感じてしまうのは、やはり私が屈折しているからだろうか?

 「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」(02年 米)

 「フル・フロンタル」(03年 米)

 「ウェルカム トゥ コリンウッド」(02年 米)

 「くたばれ!ハリウッド」(02年 米)



[80] ウィークエンド・ラブ 第88回 投稿者:ラスタマン 投稿日:2004/07/19(Mon) 23:48  

 6月21日〜7月19日。

 加藤 倫教の『連合赤軍 少年A』を読んだ。
 感想を書きたいと思った。

 「グルタミン」の『高速ロケンロー』を聴いた。
 感想を書きたいと思った。

 映画は

 「ターミネーター3」(03年 米)

 「ザ・コア」(03年 米)

 「レッド・スカイ」(02年 米)

 「地雷を踏んだらサヨウナラ」(99年 シネカノン)

 「めぐりあう時間たち」(02年 米)

 「バッドトリップ」(95年 米 未公開)

 「シャレード」(02年 米 未公開)

 「マトリックス リローデッド」(03年 米)

 「シカゴ」(02年 米)

 「地獄甲子園」(02年 クロックワークス)

 「 ドラゴンヘッド」(03年 東宝)

 を見た。
 見るペースが一時期に比べてかなり落ちているが、それでも感想を書きたいと思った作品が何本かある。
 「来週末には書こう」と思ううちに、書けずに今日になった。
 確かに仕事は、忙しい。
 しかし、それが書けない理由だというわけではない。
 ボクシングのトレーナー業や、子供の受験の伴走やら他に気になる世界に時間をとられていることもある。
 それでもここまで続けてきた「誰でも日記」を中断したくない思いはある。
 掲示板でも書く常連がとても少なくなった今こそ、気を吐きたい思いはある。
 待ってみよう。
 もっと自分の内から「書きたい」という衝動が起こるかもしれない。
 



[79] ウィークエンド・ラブ 第87回 投稿者:ラスタマン 投稿日:2004/06/20(Sun) 22:56  

 5月31日〜6月20日。

 多忙な日々がつづいている。
 5月31日(月)から6月4日(金)までは、ずっと出張でいつもより早く職場に出勤し、そこから出張先へ出向くという日々を送った。
 6月7日(月)から6月11日(金)までは、デスクワークで一息つけたのだが、メールで緊急の報告ものが着たりとか、下部組織の担当者からの電話、接客とかに追われた。
 ストレスで飲酒量ばかりが増えた。
 9日、ジムから帰宅して扇風機に当たりながら発泡酒を飲むと、10日の朝、咽喉に痛みを覚えた。
 「やべえ」と思ったら案の定夏風邪をひいてしまった。
 身体がだるくてしかたなかったのだが、予定はびっしりつまっている。
 7人いるチームの中の最年長で、来春には、退職を予定されている人は、糖尿病を理由に入院してしまった。
 課長が見舞いにいったところ、医師から精神的ストレスから糖尿病がひどくなったという話があったそうだ。
 糖尿病より、鬱の状態に問題があると課長は私たちに説明し、私たちが見舞いに行くことは禁じられた。
 さらに私の部下の新婚で妊娠中の女性までも10日から切迫流産で入院してしまった。
 残された5人のメンバーで7人分の仕事をこなしていかなければならない。
 多忙さにさらに拍車がかかってきた。
 夏風邪ごときで休むわけにはいかない。
 行政改革の矢面に立たされてもしかたないような余裕のある職場だったので、そういう中でならされてきていた私たちはひ弱だ。
 急激な仕事量の増加や難化についていけない。
 しかし、そういう年金を楽しみに生きているような大方のコッカコームインの連中の生き方が不愉快で、若い頃は職場で反抗的に振る舞いそして愛想をつかし、プロボクシングの世界へと流れ着いた私が奴らと同じようにへばっているわけにもいかない。
 小さな仕事のスキマを見つけては“法”とか“令”とか“規則”とかを読み込んだ。
 回りくどい表現だらけのそれらを、読解するばするほど、曖昧な解釈が可能な書き方をしていることに腹がたった。
 こんなのを作成しているのが、例えば、東大法学部を出て第1種コッカコームイン試験に合格した連中なのだろうか。
 現場で運用できない法表現の矛盾点をリストアップしてまとめた。
 そして6月21日より5日間、東京での研修が決まっている同年のチームの仲間に渡した。
 日程の中にディスカッションも予定されているので「仕事上の疑問点があったらまとめといてくれ」と言われていたからだ。
 6月14日(月)から6月18日(金)までは仕事もつらかったけれど夏風邪で思うようにならない身体もつらかった。
 これまでは、もっと気楽に休めて仕事は休んでもジムには行くみたいなこともしていたのだけれど、今回ばかりは仕事を考えてジムを休んだ。
 ジムは6月9日に行ったきりになってしまった。
 そのこともストレスになった。
 一刻も早く夏風邪を治そうと出来るだけ早く寝ることにした。
 しかし経過をたどらないと治らないタイプの風邪なのかなかなかよくならない。
 17日はチームで飲むことが決まっていた。
 こんな状況なのでアルコールの量は進み、管理職である課長に「2名も入院しているのになんとか対応はとれないのか」と厳しい言葉がはかれた。
 課長も辛い立場にあるらしく、「それを下手にやってしまうと、いつ退院してもおかしくない入院者を追いやってしまうことにもなる」と答えた。
 そういう上司らのやりとりを横で聞きながら私は同年の者とバカ話ばかりしていた。
 腹立たしい状況でもあるが、どうにもならん状況でもある。
 酒がまわって、「二次会にカラオケでも行こう」という案が出たが、私を含め翌18日も早出で出勤して出張が決まっている者が多かったので一次会だけでさっさと帰ることになった。
 18日(金)は屋外での肉体労働だったので夏風邪の私にはとても辛い日となった。
 なんとかやり終えて、5時から6時半までデスクワークの残業をして帰宅。
 さっさと夕食と入浴を終えて眠りにつく。
 体温は計らなかったが身体のだるさ具合や熱っぽさから確かに発熱したようだ。
 これで寝込んでしまうのかと心配したが、翌19日(土)をいつものように外出して、週末の日程をこなしていたら思ったより体調がよくなっていった。
 ワーナー・マイカル・シネマズで『ビッグ・フィッシュ』を見に行こうかと悩むが、過去、映画館で風邪をうつされたり、ひどくされたりの経験が思い出されてあきらめた。
 いつものように映画を見ることができなかったのも辛かった。
 仕事が忙しかったりとか、体調が悪かったりとか、悪いときには悪いことが重なるものでDVDプレーヤーまで壊れてしまっていたからだ。
 ジムにも行けず、映画も見れずで、本当にひどい日々だった。
 来週はもっと映画も見てジムにも行って、自分の日々をとりもどそう。

 見た映画。

 「8人の女たち」(02年 仏)

 「ザ・ビッグ・ワン」(97年 米 英 未公開)

 「金融破滅ニッポン 桃源郷の人々」(02年 大映)




[78] ウィークエンド・ラブ 第86回 投稿者:ラスタマン 投稿日:2004/05/31(Mon) 00:50  

 5月6日〜5月30日。

 4月から職場が県庁所在地の“本所”となり忙しくなった。
 国営から民営へと移行して行く仕事についてその民間機関の人々の前での講義から、目と手を使った細かな大量の単純作業まで山と仕事を抱えることになった。
 情熱を持って仕事にとりくむ人間ではないのだが、せめて勤務時間内はきっちり仕事をやってやろうとは思っている。
 時間内に集中してやっていれば残業しなくても何とかなってきたのがこれまでだった。
 しかしチーム全体での課題となっている仕事とかもあって残業しないわけには行かなくなった。
 私も含めチームの仕事より自分の仕事を優先させたい人間がほとんどだからチームの仕事はどうしても5時以降の時間外に皆で嫌々やることとなった。
 29日にあった会議で名古屋の職員の人に聞いた話では昨年7人いたチームの中で3人が次々と入院して行ったということだ。
 うちもすでに1人が精神的にまいってしまい半分リタイヤ状態となっている。
 ジムに行く日は月水金と決めていたのだが、そうした仕事の都合で中々思い通りには行かなくなった。
 それでも週3日は行きたいので、土曜日とかを使って行った。
 ストレスでアルコールの量が増えて少しづつ落としていた体重の管理が疎かになってしまった。
 忙しさの割にはたくさん映画を見た。
 否、忙しいからこそ映画を求めてしまうのだ。
 がんばれる素を入れなければがんばれないのだ。
 また映画以外でも二人の息子の姿もがんばれる素になった。
 工業高校を卒業して4月から就職した長男は遠い通勤距離を車で私より早く家を出て行く。
 私同様18で社会人となった息子を気づかいたいと思っているのだが、私自身いっぱいいっぱいでなかなか思うようにやってやれない。
 本気になったら「世界を凍らせられる」ような思いに取り付かれていて、事あるごとに職場の上司やら労働組合とトラブルばかり起こしていらぬ苦労ばかりしていた18の頃の私に比べこいつはうまくやっているのだろうか。
 進学校に行くのなら地元の国立大学に入れる程度の勉強はしてもらう、工業高校に行くのなら勉強のことは何も言わないけれど卒業したら就職してもらうという選択の中で長男は工業高校を選んだ。
 そしてロックとマンガとプラモとゲーム三昧の高校生活を送った。
 工業高校なら当たり前に就職だろうと認識していたのだが、現実には半分以上が進学すること知ったのは、長男が3年で就職コースを決めていた頃だった。
 約束どおり長男は「進学」は一言も口に出さなかったし、私も「勉強」は一度も口にしなかった。
 しかし小中と同じ学校で中学では同じ陸上部でもあり同じ工業高校に通っていた長男の友人が推薦で地元国立大学に進学することになったことを知った時は、「これでよかったのかな」という戸惑いが起きないでもなかった。
 しかし、長男には「働く者の特権だ。物欲に走れ。てめえの稼いだ金で買ったCDで聞いたロックこそが本物のロックだ。」と言ってある。
 幸い長男も仕事後のマンガの立ち読みやらブックオフやらタワレコで買ってくるマンガやCDを楽しみにして淡々と働いているようなので一安心というところだ。
 家から一番近い公立の進学校に入った次男は2年生にして早くも大学受験を考えてコツコツと勉強している。
 田中真知という日本の陸上会の明日の希望選手を出した次男の高校は、陸上では名門ということで次男はここを選んだのだった。
 しかし、現実に指導者が力を入れているのは女子だけのようで男子は勝手にやっているというのが実情のようだ。
 進学校としての実績も昨年何年かぶりでひとり京大合格者を出した程度で東大合格者は10年くらい前に浪人して一人入ったという程度のものだ。
 次男に対しても親の遺伝子から考えてもそんなに高望みできるものではないと思っている。
 しかし貧乏な家庭から大学進学させるには地元国立大学しかないと思っているのでそれなりの勉強はしてもらいたいと考えていた。
 その辺は次男もよく理解してくれていて実際よく勉強してくれていた。
 学校が行う定期試験では相当いい成績なのだが、1年次の河合塾が行う全統模試では定期試験ほどの成績は出せなかった。
 そして次男は「学校の成績を上げる為の勉強はやめる」と言った。
 「模試で点を取れる勉強が大事なのでそれをやる」と言った。
 私は「そうか、まあ好きなようにやってみろ」と言った。
 次男は、幼い頃からきついアトピー性皮膚炎と強度の花粉症に苦しみ小学3年でインフルエンザをこじらせてその後2年近く体力のない病弱な日々を過ごした。
 「普通に育ってくれればいい」だけが親の願いだった。
 中学に入ると心を閉ざしたように家ではほとんど口を聞かなくなった。
 しかしその一方で陸上長距離で「がんばればやれる」ということを心にも身体にも刻み込んでいたようだった。
 かかりつけの耳鼻科で花粉症のシーズンに陸上は禁物と止められながらもマスクをして走るという人からは奇異に見えるやり方でのりきっていった。
 駅伝の正選手として3年では一番長く陸上部に残り最後の大会の後からは集中して受験勉強に入り飛躍的な成長をとげた。
 高校に入学後いろいろなことに自信をつけた次男は親にも心を開くようになり話もできるようになったのだった。
 長男とは趣味も似通っていて気もあうので一緒にフリーマーケットに出かけたりとかしていたのだが次男に対しては何もしてやれていないという思いがあった。
 それである受験勉強法の本を読んで受験は情報処理技術だということを知り、勉強法と受験に関する情報収集を助けることにした。
 次男は高校に入っても陸上部をやっているので本当に時間がない。
 しょっちゅう本屋に出かけている私にとっては受験参考書等のコーナーをチェックすることぐらいさほどの手間にはならない。
 そして「勉強法の本はもういい」と次男が言うようになっても私が自身で読むのが楽しみになってしまっていたので勉強法の本やら受験情報の本やら教育に関する本を色々と読むようになっていた。
 寺脇研の「21世紀の学校はこうなる」もそういう流れの中で読んだ本だ。 
 教育になんてまるで関心のなかった私だが、実際に調べてみると興味深いことが色々と出てきた。
 特に予備校の講師には興味をひかれた。
 文部科学省の管理下にもなく日教組もなく、人気がなくなれば即クビにつながる弱肉強食の世界にいる彼らこそが本当に勉強を教えることのプロフェッショナルに見えてきた。
 東進という予備校で小論文の講師をやっている樋口裕一の書いた「予備校はなぜおもしろい 新・受験文化論」なんて寺脇研の本やら立花隆の「東大生はバカになったか 知的亡国論+現代教養論」よりずっと興味深い教育論だと思った。
 現代の日本の“知”を代表する一人であろう立花隆の本など「もっと東大生にはエピステーメー(一般教養)が必要だ」とかはいかにも上意下達の説教だけでちっとも面白くもない。
 こんな説教たれてるより例えば、「『天皇制』の研究」なんてことをやってもいい人なんじゃないだろうか。
 それよりは“現場”で実際に戦っている予備校講師の“在野の精神”にあふれた言葉は魅力的だった。
 何より驚いたのは前にここに書いた妻の手術時に私が読んでいた参考書「新物理入門」の著者山本義隆はあの69年安田講堂占拠事件のときの東大全共闘代表の山本義隆だったのだ。
 私が持っている「頭脳警察LIVE Document1972-1975」にアジ演が収録されているので、次男に「この声はこの『新物理入門』を書いた人の声だぞ」と聞かせたりした。
 湯川秀樹をして「次にノーベル賞をとってもおかしくない」といわせ、後に全共闘運動の最大の損失は山本義隆が物理学の研究者としての第一線から引かせてしまったことだとの意見もあるほどの人なのだった。
 代ゼミの講師をやりながらも物理学の研究書を発表してこの人はそれなりの評価を得ているそうなのだが、あの時代のことは決して語らず淡々と研究をつづけることで今もって戦っているのかもしれないと少し神妙な気持ちになった。
 学校の為の勉強をやめて私が選んだ参考書や問題集で模試で点が取れる本当の実力のとれる勉強法に変えて次男は確実に力をつけていった。
 「推薦入学なんて小ざかしいものに色目は使わない。正面から受験して中央突破する。」次男の意思をそう確認した。
 しばらくしてまた次男が「自分で勉強した方が身になる授業があるで、そういう授業の時には授業を聞かずに自分で勉強する」と言い出した。
 私は「まあ好きにやってみろ。あまり迷惑がられんように少しは気を使え」と言った。
 今ではたいていの授業を内職にあてていて聞いている授業はほとんどないようだ。
 2年になると「提出物が多すぎて勉強の計画が順調に進まんで、提出物を無視する。」と言い出した。
 さすがにこれには「それは先生に叱られるやろう」といったが、次男は「その時は『成績下げといてください』と言う」と即答した。
 結局これにはやはり担任から諭されて“手抜き”のものを提出することで落ち着いたらしい。
 長男とは違う意味で次男にも一度も「勉強しろ」と言ったことがない。
 部活で、たいてい帰宅時間は午後7時過ぎで土日にも試合とかの日程が多く、自由な時間が少ない中でもその少ない時間を次男は勉強にあてている。
 そして模試での偏差値では地元の国立大学を超えて旧帝大等の難関国立を狙える位置にまで来てしまった。
 もはやここに来て「地元の国立大学に行ってくれ」とは言えなくなってしまった。
 愚妻は未だに「地元の国立大学の医学部がいい」とかこだわっているが本人は工学部を希望している。
 本当に難関国立大に合格して家から出ることになってしまったら仕送りはどうしようと考えなければいけないのだが、「そのときは(コレクションの)フィギュア売ってでも金作らんなしょうがないやろう」と笑って話している。
 行っている塾は小学校以来の習字塾だけでその他の学習塾、現役予備校、家庭教師、通信添削なんてものは一切無視して市販の参考書と問題集の自学自習だけでどこまでやれるのか不安がないわけではない。
 まして地方のたいしたことのない公立高校だ。
 しかし何の迷いも見せず常に淡々と勉強しつづける次男を見ていると、こいつは本当に親のDNAとか年収とかの壁を超えて根性だけで難関大学受験を乗り切ってしましそうな気もしてしまうのだ。
 東大やら慶応やら早稲田といった超難関大学の人も集っているこのサイトでこんなことを書くのはとても親ばか丸出しで恥ずかしいことなのだけれども、学歴のない貧乏人の親の希望とはこんなもんだ。
 私もまた明日から子供達に負けないようにてめえの生を生きねばならんのだ。

 見た映画。

 「クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険」(96年 東宝)

 「クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡」(97年 東宝)

 「劇場版ラーゼフォン 多元変奏曲」(03年 松竹)

 「ヒッチコック・天才監督の横顔」(99年 米 未公開)

 「24アワー・パーティ・ピープル」(02年 英)

 「エンジェル・アイズ」(01年 米)

 「星に願いを。」(02年 東宝)

 「バッファロー'66」(98年 米)

 「雨月物語」(53年 大映)

 「TATTOO[刺青]あり」(82年 ATG)

 「パリの灯は遠く」(76年 仏 伊) 

 「ブラック・ナイト」(01年 米)

 「悪魔のようなあなた」(67年 仏)

 「過去のない男」(02年 フィンランド 独 仏)

「燃えよ剣」(松竹 66年)

 「ショーシャンクの空に」(94年 米)

 「ダンシング・ヒーロー」(92年 豪)

 「ボイス」(02年 韓国)

 「カンヌ 愛と欲望の都」(02年 米 未公開)

 「ダンジョン&ドラゴン」(00年 米)

「愛しのタチアナ」(94年 フィンランド)

 「若者のすべて」(60年 伊 仏)

 「番場の忠太郎」(55年 新東宝)

 「血槍富士」(55年 東映)

 「暗殺」(64年 松竹) 

 「夢は夜ひらく」(67年 日活)

 「エヴァの匂い」(62年 仏)




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