誰でも日記過去ログ
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ウィークエンド・ラブ 第78回−2
投稿者:
ラスタマン
投稿日:2003/11/24(Mon) 23:56
見た映画。
「ロング・ライダーズ」(80年 米)
大好きなウォルター・ヒルの中でもっとも好きな作品だ。
この人のいい作品は皆スタイリッシュでかっこいい。
セルジオ・レオーネなんかがマカロニ・ウェスタンでよくダスターコートをかっこ良く使っていたのだが、正統派の西部劇ではやっぱりこの作品に尽きると思う。
史上に有名なジェシー・ジェームスやフランク・ジェームス、そしてヤンガー兄弟といったアウトロー達があのゾロっと長いダスターコートを着て馬に乗っている姿はもうそれだけでいかしている。
このアウトロー達を描いた他の作品では、「ミネソタ大強盗団」(72年)というのもあってちょっとライトな感じで描いていたとかすかに記憶している。
ウォルター・ヒルの映画では音楽をライ・クーダーが担当していていつも素晴らしい。
この人のボトルネック・ギターの音とかとても好きでCDを何枚か持っている。
サントラでは「クロスロード」と「パリ・テキサス」が大好きだ。
多分25年くらい前だったと思うけれど、パイオニアのシステムコンポ「ロンサム・カウボーイ」という商品のテレビコマーシャルでウォーレン・オーツが使われたことがあった。
大物外タレと呼ぶにはあまりにも渋すぎる人選に当時私は、例えば先日「キル・ビル」を見た時のような共有できるマニアックなセンスにウキウキして見ていた。
きっとこのCMを製作した人は「デリンジャー」やら「ガルシアの首」が大好きなのに違いないと確信していた。
麻のちょっとよれっとしたスーツを着たウォーレン・オーツはもうただ立っているだけでかっこよくしびれていた。
昔からダスターコートや、麻のスーツをいつか着てみたいと思っていたのだが、実現していないうちに中年親父になり太ってしまった。
そうすると着る服とか本当に無頓着になってしまって週末で買い物に出かける時でもたいていジャージで過ごしてしまう。
せめてジャージでも黄色地に太い黒のラインが入ったものを着てみたいのだが……。
ウォーレン・オーツのCMは、2種類くらい作られて私は3作目を期待していたら、今度はウォーレン・オーツではなくアロハシャツを着たライ・クーダーだった。
このCMをよく流していた「タモリの今夜は最高」という番組と共に忘れられないセンスの良さだったと思う。
ついでに「今夜は最高」ではゲストとタモリとで映画のパロディの小ドラマをやっていたが「ガルシアの首」をやった時があってその時、ウォーレン・オーツの役をやったのは石橋陵だった。
いつものごとく話しは脱線しまくったがこの「ロング・ライダース」は、70年以降の西部劇が退潮した時代の傑作西部劇の1本だと思う。
「クリント・イーストウッド アウト・オブ・シャドー」(00年 米)
「アメリカが生んだ文化で芸術と呼べるものは西部劇とジャズだ」とイーストウッドは言った。
「続・夕陽のガンマン」(66年 伊)
クエンティン・タランティーノと伊藤彰彦さんのお薦めのセルジオ・レオーネのマカロニ・ウェスタン。
私も勿論大好きでこれも買ってあったDVDで見たもの。
タランティーノは脚本を手がけた「トウルー・ロマンス」(93年)でこの映画のクライマックスの三角形の決闘を見事にパクッていた。
イーストウッドとセルジオ・レオーネの組んだマカロニ3部作はどれも大好きなのだけれど、イーストウッドには自分で監督した「アウトロー」とか「許されざる者」と言った傑作西部劇があるのでレオーネのマカロニではイーストウッドの出演していない「夕陽のギャングたち」「ウェスタン」を好きな映画を選ぶ時などに挙げることにしている。
ブロンソンが死去した時に「ウェスタン」が見たいがDVDも出ていないと書いたら、なんとDVDが発売されることになった。
さっそくショップに行って予約して買って来た。
これもダスター・コートを着た男たちがかっこいい映画だ。
「続・夕陽のガンマン」でもイーストウッドがダスター・コートをかっこよく着ている時間が長くあるのだが、私はやっぱりあのポンチョ姿が一番好きだ。
映画のキャラでドールにして欲しいのがこのマカロニでのポンチョ姿のクリント・イーストウッドと「女囚さそり けもの部屋」でポスターにもなっている黒い帽子に黒いコートでナイフを持っている姿の梶芽衣子のものだ。
アルフレックスでもトイズ・マッコイでもbbiでもドラゴンでもどこでもいいから作ってくれないだろうか。
「女帝 SUPER QUEEN」(00年)
貧しい母子家庭で育った主人公が母親の死をきっかけに故郷の熊本を出て大阪ミナミでホステスとしてのし上がっていくドラマ。
青臭いと言われるかもしれないが、“女帝”と呼ばれるナンバーワンホステスを目指す為に権力を持った男の女になる主人公に共感できない。
「ジェロニモ」(93年 米)
「ロング・ライダース」でウォルター・ヒルの西部劇がまた見たくなったのでこれを見た。
西部劇が嫌いという人の中にはインディアンが悪者扱いされていることが理由とされることが多い。
特に60年代後半世界中で若者たちの反乱がありラヴ&ピースの合言葉の元に人種的偏見をなくそうという世論の中で西部劇は退潮していった。
何故インディアンが映画の中で前提として悪役となっていたのかについて西部劇に詳しい増淵健はこう書いている。
ジョン・L・オサリバンが1845年に発表した「神の意志によってわり当てられたこの大陸を、合衆国の自由な発展のために拡大することがわれわれの『明白な宿命』の達成に外ならない」という倫理に基づいてフランス人、スペイン人を駆逐し、先住民族のインディアンを掃討した。
だからインディアンを悪者にすることは神の意志だと確信していたのだという。
確かにそれは手前勝手で無茶苦茶な理屈ではある。
反省せねばならない恥の史実である。
しかし日本もまた他民族を虐待してきた歴史を持つ国だ。
私個人がそんなことをした人間ではないとしても、我々の祖先がやって来たそのことについて考えねばならないということは苦渋に満ちた精神作業であることは確かなのだろう。
その“苦渋”を通過せずに「ごめんなさい。反省しています。」をやってしまうことはとても安直なことだ。
ラルフ・ネルソンの「ソルジャー・ブルー」はそういう安直な良識派映画だ。
白人が少数先住民族を迫害する者、インディアンが迫害される者として扱われるような時代になりつつあった連合赤軍の年1972年にロバート・アルドリッチは「ワイルド・アパッチ」というとんでもない西部劇を作る。
それは白人とアパッチ族酋長ウルザナとの戦いを描いたものでこれでもかというくらいアパッチが残虐なインディアンとして描かれる。
しかしそう描くことでアルドリッチは“苦渋”のないお気楽な良識派に爆弾をぶつけたのである。
異人種への恐怖と憎悪……人間の根っこにある暗い感情とまずは向かい合わなければならないのである。
そういう苦渋と向かいあうことのない良識派からみればこの「ワイルド・アパッチ」は最低の映画なのである。
しかし考えてみよう。
アルドリッチは一辺の妥協もない軍隊批判映画を作った人なのである。
赤狩りでアメリカを追われたジョセフ・ロージーを支援しつづけた人なのである。
若者たちが大学でロックやドラッグやフリーセックスを楽しみベトナム反戦運動をやっていた一方でそういう若者たちより貧しく低学歴で有色人種で「この戦争が正しいかどうか」なんて考える暇もなくベトナムの泥の中に送り込まれていった若者たちもいたことをアルドリッチはわからそうとしていたのだ。
そしてベトナムの泥を這いずりまわっている若者たちにとってのベトナム人は何なのかと反戦運動を楽しんでいる若者たちにアルドリッチは問うていたのである。
この「ジェロニモ」は正しい戦士ジェロニモが卑怯な白人に騙されて行くドラマだ。
良識的な西部劇である。
ウォルター・ヒルは好きな監督なのだが、この映画に関しては安直に「ごめんなさい」を言ってしまった作品だと思ってしまうのだ。
「河内カルメン」(66年)
「肉体の門」(64年)、「春婦伝」(65年)と鈴木清順が野川由美子と組んでたくましく生きる女と描いた3部作のひとつ。
女工、ホステス、モデルと転業しながらダメ男たちにも愛情を持って接しているところまでの野川由美子には好感を持って見ていたのだが、初恋の相手に出会いその男と暮らし男の夢の為に男の進めに応じて他の金持男の妾になってしまうところ以降のドラマは見ていて気が滅入った。
金持ち男にブルーフィルム(裏ビデオじゃない時代だから)に出さされるは、その相手の男優が初恋の男だったりするわ、故郷に帰ると妹がいかれた母親によって生臭坊主の慰み者にされているわでちょっとまいってしまった。
波乱に満ちた女の半生を描くにしてもちょっとやり過ぎじゃないのと思ってしまった。
貢がせる為に好きな女に売春させることのできる男と好きな男の為に身体を売ることのできる女には圧倒されるしかないのだ。
「耳に残るは君の歌声」(00年 英 仏)
ロシアにおけるユダヤ人の迫害の映画というと高校の時に確か荻昌弘の「月曜ロードショー」で見たジョン・フランケンハイマーの「フィクサー」を思い出す。
主演のクリスティナ・リッチが歌う「暗い日曜日」は確かに“耳に残る歌声”だったが思わせぶりな展開に終始するドラマは心に残らなかった。
「座頭市二段斬り」(65年)
「座頭市あばれ凧」(64年)
北野武の「座頭市」のおかげで勝新の「座頭市」が次々とDVDになっていて前回からレンタルして5本をまとめて見た。
昔はよくテレビで放送されて大好きでたいてい見ていたのだけれど差別用語とか問題あるのか新作以外は放送されなくなってしまった。
この頃、大映のこの「座頭市」とか雷蔵の「眠狂四郎」とかの人気シリーズをだいたい三隅研次、森一生、田中徳三、池広一夫でローテーションさせていたので4人の監督の名前から“三一システム”と呼ばれていたそうだ。
その中では後に「子連れ狼」シリーズでタランティーノに影響を大いに与えた三隅研次の作品が一番面白い。
最近見た5作品の中では前回にタイトルだけ書いた「座頭市血笑旅」が一番面白かった。
勿論三隅作品だ。
刺客に市と間違えられて殺された母親の死に責任を感じた座頭市が赤ん坊を父親の元へ届ける旅道中を描いたものだ。
赤ん坊に情が移り自分で子供を育ててみたくなるがそんな“かたぎの夢”を望める立場ではない無念さを胸に赤ん坊を自分の子供と認めることをせず名声を得る為に座頭市を襲って来る父親を斬る。
そういう盲ではあるがかたぎの世界には生きられない市の悲しみが殺陣につながっていて胸をうつ作品だった。
今回の「二段斬り」は井上昭で「あばれ凧」は池広一夫の監督によるもので市の強さばかりが描かれていて不満の多い作品だった。
「カルマ」(02年 香港)
映画も結構怖いのだけれどこれが自殺したレスリー・チャンの遺作がこれであったということが一番怖い。
「奪還 DAKKAN アルカトラズ」(02年 米)
中三の時に封切りで「燃えよドラゴン」を見てブルース・リーの動きで何よりぶったまげたのはヌンチャクと後ろ回し蹴りだった。
特に後ろ回し蹴りは、それまでにも沢村忠や藤原敏夫のキックボクシングはよく見ていたのだけれど、ムエタイにはない種類の蹴りで人間にこんな蹴りができるのかと驚いたものだ。
その後“蹴り”で驚いたものに極真空手世界大会でのアンディ・フグのかかと落としとプロレスでの初代タイガー・マスクのローリング・ソバットがある。
ブルース・リーの後ろ回し蹴りとヌンチャクは当時夢中になって練習した。
当時は結構きれいに出来たのだけれどひさびさに後ろ回し蹴りを試してみたら足が高く上がらなくなってしまっていた。
話しがいきなり脱線しているけれど、この映画に登場するニア・ピープルズという女優さんの蹴りが凄くいいのだ。
もう後ろ回し蹴りなんて志穂美悦子を彷彿とさせる美しさなのだ。
大好きなケイト・ベッキンセイルの新作の「アンダーワールド」での衣装に良く似た格好のロングコートで登場する悪役なのだけれど、男に銃で追い詰められて「素手で戦わない」と持ちかけてからの動きのかっこいいことかっこいいこと。
こういう女優さんに出会えるから、この手のアクション映画をバカにして見落としてはいけないのだ。
権力者=正義=ヒーローという図式しかないアホのスティーヴン・セガールのシーンは我慢して
ニア・ピープルズに出会えただけでこの映画を見たかいがあったってものだ。
「ディナーラッシュ」(01年 米)
ニューヨークのイタリアン・レストランのオーナーであるダニー・アイエロが仕事のパートナーだった友人がチンピラギャングに殺されて、その復讐を遂げるまでの話しを中心にレストランで働く人々や客を描いた群像劇。
友人が殺された後はそのレストランでの一夜だけの出来事なのだが、その戦場のような厨房の様やら従業員や客のドラマやらが手際よくしかも小粋に描かれておりとても見ていて心地よい作品になっている。
とても洗練された人間観察力や人生観は昔のフランス映画のようなお洒落な香りがした。
「パーフェクト ストーム」(00年 米)
まあ、欠点を言えばきりがないのだが、過去のパニック映画とか海洋アクションが次々と思い出されて結構楽しんだ。
「老人と海」「白鯨」「ポセイドン・アドベンチャー」「ジョーズ」etc ……。
「マイ・ビューティフル・ジョー」(00年 米)
医者から脳腫瘍を宣告され家に帰ると妻はほかの男と寝ている。
なじることもない男にあなたは退屈だと妻は離婚を申し出る。
そんな中年男が旅先でギャンブル狂で身持ちが悪く掃除も料理もできない女シャロン・ストーンとその二人の子供たちを救って行くハート・ウォーミングなドラマ。
他者の悪意もそうと解釈できないような鈍い男を素敵に描いているのだが、我がまま女のシャロン・ストーンの実生活でもの夢の男のように思えて素直に見れなかった。
「人妻性衝動〜危険な性欲〜」(02年)
男の妻を殺そうと近づいた女医が逆に殺されてしまうという話。
「ピカ☆ンチ LIFE IS HARD だけど HAPPY」(02年)
人気アイドルグループ嵐を使った青春映画。
誰を主役にすると言うわけでもなく、それぞれを均等に扱わねばならないとか色々と制約があったことだろうと想像するが、皆違った個性の若者にしてそのウロウロぶりがうまく描かれていて好感が持てた。
個人的には、エロ本の隠し場所を必ず親に発見され、高層団地の屋上からの飛び降り自殺を何度も目撃してしまい、原宿にナンパに出かけると親切なお姉さんに声をかけられてラッキーかと思うとクリスチャン・ラッセンの絵を4万円で買わされ、英語の教材を20数万円で買わされ、新聞配達先の有閑マダムに童貞を奪われてしまう大野智のエピソードが面白かった。
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ウィークエンド・ラブ 第78回−1
投稿者:
ラスタマン
投稿日:2003/11/24(Mon) 23:55
11月10日〜11月24日。
15日。アメリカ、テキサス州サンアントニオのアラモドームでマルコ・アントニオ・バレラとマニー・パッキャオのフェザー級12回戦が行われた。
ノンタイトル戦であるにも関わらずメキシカンのバレラは実質的にはフェザー級最強と言われこのIBF世界スーパー・バンタム級王者フィリピン人のパッキャオとの試合は事実上のフェザー級ナンバーワン決定戦と注目されWOWOWの「エキサイト・マッチ」でも17日に放送するという特別な待遇の受け方だった。
掛け率は4対1でバレラが圧倒的に優位だったのだが、それでもバレラ相手に4対1程度ですんだということはこのフィリピン人の強打がいかに向こうで評価されているかということだとジョー小泉は言った。
浜田剛史は「後半KOならバレラ、前半KOならどちらにもチャンスがある」とこの強打者二人の試合を予想した。
私の興味を端的に言えばメキシカンの世界的なスーパースターにアジア人のチャンピオンがどれくらい通用するのかということにつきる。
バレラといえばジョニー・タピアに勝利し、マンガ「はじめの一歩」で鷹村の世界戦の相手だったブライアン・ホークとかいう名前の変則的なボクシングをする選手のモデルとなった当時飛ぶ鳥を落とす勢いのあったアラブ系イギリス人のナジーム・ハメドに初めて黒星をつけた選手であり、もう一人のメキシカンスーパースターであるエリック・モラレスを再戦で制したが、ベルトに執着しなく「無冠の帝王」とか「童顔の暗殺者」と呼ばれるほどの誰もがクラス最強だと思っているボクサーである。
しかも大学時代には法律学を専攻しておりフリオ・セサール・チャベスが引退した後のメキシコの英雄候補の最筆頭である。
もう一方のフィリピン人マニー・パッキャオはサウスポー構えで左ストレートの破壊力は確かに魅力的だが身体を開いてガードがおろそかなまま全身を突っ込ませるようにして打つし、試合の前半とばして後半はスタミナ切れも起こす穴の多い選手でもあった。
この試合の前の無名の選手とのノンタイトル戦も見たのだが、大振りのパンチにショートを合わされて痛烈なダウンさせられるシーンもあり、強くはあるのだがとにかく危なっかしい選手なのだ。
会場はアメリカとはいえテキサス州サンアントニオはメキシカンにとってホームタウンのようなものだ。
そんなところでアジア人が地元の次期英雄の戦いを見ようと熱狂する観客の前でリングに沈められる……誰もがそんな展開を予想したことだろうと思う。
入場シーン、先に入場して来たフィリピン人にはもの凄いブーイングが起こる。
そのブーイングに対してパッキャオは軽やかなステップに笑顔で手を振って応えた。
ずぶとい神経を解説は称えていたが私には何だかアホに見えた。
そのフィリピン人の容貌からも私にはマンガ「あしたのジョー」に登場するマレーの奥地のジャングル出身のハリマオを連想させた。
きっとこいつは早いラウンドから仕掛けるだろうがバレラには通用せず、ジリジリと追い詰められやがてリングに這いつくばるだろうと思った。
野性的なボクシングが近代のガードとコンビネーションブローを重要視したボクシングに通用するはずないのだと信じて疑わなかった。
変わってバレラの入場シーンは会場が割れんばかりの歓声と声援だった。
バレラのマネージャーになったこれもスーパースターである元5輪の金メダリスト“ザ・ゴールデン・ボーイ”オスカー・デラ・ホーヤが観客席にいて笑顔で迎える様子も映された。
利発そうなバレラの表情は自信に満ち溢れたものに見えた。
試合が始まり1ラウンドでパッキャオは身体ごと持って行く左ストレートでバランスを崩し倒れたのをダウンにとられる。
インターバルで流れたビデオテープでバレラのパンチがあたっていないことが明らかになる。
会場の99.9999…パーセントがパッキャオの敵だった。
しかしこの脳天気そうなフィリピン人はあたっていないパンチでのダウンにも抗議せず(この時点ではバカだからそういうこともしないんだろうくらいに思っていた)逆にそれで開き直ってしまう。
2ラウンドになると間抜け面したフィリピン人は軽やかなステップワークをきざみ上体を小刻み振りながら思い切ったワンツーを鋭い踏み込みでたたきこんで行った。
何と3ラウンドにはスーパースター、マルコ・アントニオ・バレラから左ストレートではっきりとしたダウンを奪ってしまった。
もうその後は行け行けのラッシュでバレラをおしまくってしまった。
豪快なパンチのラッシュにバレラは防戦に徹せられるが時おり早いカウンターをヒットさせた。
しかしそんなあたったパンチにアホ面のフィリピン人は両手を上げて首を振り効いていないゾとアピールし直後にまたバレラに襲い掛かった。
2ラウンド以降の全てのラウンドをフィリピン人が制し、バレラの動きはドンドン衰えていった。
6ラウンドにははっきりとあたっているパンチでバレラが倒れたにも関わらずスリップとしてレフリーに処理された。
何だかバレラの表情がおびえているようにも見えて来てラッシュで滅多打ちに近いシーンまで出てきた。
11ラウンドにはもみあってバレラが倒れたにも関わらずバレラの様子からレフリーはダウンと判断するまでになった。
立ち上がったバレラをパッキャオの凄まじい連打が襲う。
しばしそんな場面がつづいた後、バレラのセコンドがリング内に飛び入りバレラを救うように抱きしめ試合は終わった。
11ラウンドがラスト10秒で終わるというタイムだった。
その瞬間何とパッキャオは両手を上げて声をあげて泣き出したのだ。
感極まってのその姿を見て私の身体にゾクゾクするような電流が流れた。
メキシコの否、世界のスーパースターをフィリピン人がワンサイドで下したのだ。
同じ東洋人がやった快挙に震えが走った。
試合が終わってインタビュアーはこんな質問をした「バレラのホームタウンでフェアな態度を受けたか?」
その問いに素晴らしきフィリピン人はこう答えた「特にアンフェアーなことは感じなかった。何故ならそれだけ試合に集中していたから。」
さらに最高にかっこいいフィリピン人はこうも言った。
「2ヶ月間、バレラのスタイルを研究して来た。フィリピンの人々はこの勝利を喜んでいてくれるだろう。バレラに勝ったけれどこれまでどおり謙虚でハングリーでいたい。」と。
ファイティング原田が“黄金のバンタム”エデル・ジョフレを下した試合のようにこの試合はアジア人がやったスーパーファイトとして後世に語り継がれるだろうと思った。
ボクシングの試合はトレーナーという立場からもテレビで放送されたならたいてい見るのだが、あまり自分のジムの試合以外はここで取り上げないようにしている。
それでも昨年ならバーナード・ホプキンスとフェリックス・トリニダードの試合についてはどうしても書きたいと思ったし、今年はこのマニー・パッキャオとマルコ・アントニオ・バレラの試合については書きたいと思った。
何故ならボクシングの素晴らしさを伝えるのに最高の試合だと思ったからだ。
アケボノとかサップとかの際物でなく、本物を愛してくれる人が一人でも増えてほしいと思う。
16日(日)。ポートメッセなごやのマンモスフリーマーケットに行く。
フリーマーケットの会場にあったあるブースに映画「キル・ビル」でユマ・サーマンが着ていたような黄色地に太い黒のラインが入っていたトラックスーツを着ていたお姉さんがいた。
元はブルース・リーの「死亡遊戯」だが、今やすっかり「キル・ビル」のものになってしまった。
そこを通って行く若者たちが「おお『キル・ビル』や。かっこええ」とか言うとお姉さんはにっこり微笑んで「4時からこれのオークションをやります」と言った。
瞬間ミーハーな私は「欲しい!」と思ってしまった。
いくらぐらいで落札できるんだろう?1万円では無理だろうか?2万円もするのだろうか?と考えてそのブース付近をウロウロしていたら参考価格みたいな感じでYAHOOのオークションからプリントアウトした印刷物が貼ってありそこには何と4万5千円と出ていたのだ。
いくら欲しくても4万5千円では手が出ないと考えサイズがMしかないこともありすぐにあきらめた。
しかし、この価格は異常だと思え、考えるとだんだん腹がたってきた。
前回にも書いたつもりなのだけれど、「キル・ビル」のようなマニアックな映画がこんな風に受けるなんて何かがおかしいのだ。
かつて「風の谷のナウシカ」がベストテンに入った時、あるアニメに詳しい批評家が「確かに『風の谷のナウシカ』は素晴らしい映画だが、今回『ナウシカ』をベストテンに選出した人は『ルパンV世 カリオストロの城』の時には何を見ていたのだろう」と書いて優れていてもアニメというだけでちゃんと評価してもらえなかった過去の作品への批評家の態度に怒りを表明したことがあってそのことにとても共感したことがある。
そして私も「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」がベストワンになった時、似たような怒りを感じたものだ。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を高く評価した評論家の偉いさん方は「続・夕陽のガンマン」や「夕陽のギャングたち」や「ウエスタン」の時に何を見ていたんだ!
今回の「キル・ビル」でも同じだ。
マカロニウエスタンやらカンフー映画や東映のバイオレンス劇画の映画やらは本当は低俗なものとして扱われてきたジャンルじゃないのか?!
淀川長冶は、はっきりマカロニウエスタンは嫌いだと言った。
学校と教会は出てきたとしてもその役割を果たしていないと言った。
映画監督アンソニー・マンは「夕陽のガンマン」を見てこう言った。
「この映画には西部劇の本物の精神がこもっていない。登場する男たちの歩く道は人生の暗黒面でしかない。それにしてもひどい男たちだ。しかも醜いときている。何とひどい面構えばっかりだ!」
きっとこの人達は映画に“道徳”を求めているのである。
めぐまれた環境で映画を見ることができた“良い人”に違いないのだ。
私はそうではない。
映画に道徳なんて求めちゃいない。
映画を見て、ちょっとばかり元気になりたいだけなのである。
かつてこのサイトでオールタイムのベストテンを書いた時、洋画の3位に「夕陽のギャングたち」、邦画の3位に「女囚さそり けもの部屋」を選んだ人間なのだ。
「女囚さそり」の1作目はそこそこ評価されたけれど私が傑作と信じて疑わない3作目「女囚さそり けもの部屋」は当時キネマ旬報のベストテンでただの1点もとっていないのである。
誰一人としてベストテンの10位にも入れなかった映画なのである。
そんな映画を愛して真似て作られたのが「キル・ビル」なのだ。
精神はマカロニでありカンフーでありさそりなのだ。
それが「アメリカ映画話題の大作」とか「待望のクェンティン・タランティーノの新作」としてパッケージングされて出て来ただけでこんなに扱いが違うというのは何だか腹立たしいのである。
ある友人からも指摘されたのだけど、「キル・ビル」は復讐しようと思わせるモチベーションとなるべきドラマが弱いのは確かだし、ユマ・サーマンの殺陣には写真の止まった絵でみても腰が入っていないのではある。
にも関わらず「キル・ビル」のチャンバラに私が興奮してしまうのは、やはりかつて夢中になった低俗扱いではあったが本当に熱かったあの映画の追体験でもあるからなのだろう。
アニメの部分なんてもうあの音楽だけで逝かされてしまうのである。
だからあの「キル・ビル」のトラックスーツは流行にのっての兄ちゃんが落札したりするのではなく私が持つべきなのである。
ああどこかでXLサイズのあのトラックスーツとオニツカ・タイガーの“キル・ビル”モデルのシューズは安く手に入らないだろうか?
11月21日。
書店で雑誌「映画秘宝1月号」を立ち読みする。
「映画秘宝1月号」の特集は“至高のロック映画69”。
邦画では「いつかギラギラする日」や「狂い咲きサンダーロード」や「十階のモスキート」に混じって「犯罪したいラリパッパ」が入っていていた。
この映画こそずっとタイトルを思い出せなくてイライラしていた幻の映画だ。
「確か『闇のなんとか』ってタイトルじゃなかったかなあ……」と勘違いして憶えていて長い間出てこなかった。
「三重県自主制作映画フェティバル」の招待作品として20数年前に三重教育文化会館というところで見た。
当時毎年夏の終わりにこのフェスティバルが行われていて県内の主に高校生や大学生が作った自主制作映画をまとめて上映会をやっていた。
毎年必ず観に行っており長い時には12時間もの上映会だったのだが、全作品を観て必ず感想を書いて出していた。
会場は素晴らしいところだったのだが、観客はパラパラいるだけでしかもそのほとんどが関係者みたいなもんだった。
たぶん純粋な観客として10年間このフェスティバルに通い続けた人間って私一人だけだと思う。
スクリーンに出てくる人物が上映後明るくなった館内で見かけることができて面白かったのだが、そういう自主制作映画を作れている奴ってどこか虫が好かない連中だった。
セイガクの分際で映画まで作れるってことは相当恵まれた環境の中にいるわけで、だいたいそんな風にヌクヌクと育った奴らにろくな映画が撮れるはずなどないのだという気分だった。
作品はそういう偏見どおりのくだらないものがほとんどでたいていその映画を作ったものが読めばひどく傷つきそうな言葉ばかり選んで感想に書いた。
そんな駄作群の中に“ぴあフィルムフェスティバル”でなんか賞をとったとかの招待作品として「犯罪したいラリパッパ」が上映されたのだ。
もう虐めありの身障者虐待ありので“危さ”に徹した内容のものだった。
「映画秘宝」の文章から引用すると「モッズパーカーを着た苛められッ子が逆襲のため大麻を栽培。特製のガンジャを苛めっ子集団のケツの穴にぶち込んで虜にし、リーダー格をブチ殺した後、一同揃って渋谷109前の歩行者天国を襲撃。まだ元気ソングバンドに成り下がる前の爆風による『およげ!たいやきくん』のハード・アレンジを絶叫しながら通行人に向かって消火器を撒き散らす!」
確か軽トラだったと思ったがその荷台に大麻かそのての草と設定されているものを積んで火で炊いて走らせ道行く人々に向かって煙を団扇であおぐなんて映像がおそらくはゲリラ撮影によって撮られたようなのがあったのだ。
監督の舞台挨拶があった。
確かその時「この映画に込めたメッセージは『FUCK YOU!』ということです。」というような内容の挨拶をした。
その時のアンケートには県内の自主映画製作者に向けて「あの『FUCK YOU!』はこんなくだらない自主制作映画を作っているあなたたちに発せられたものだと解釈したほうがいい。」などと書いた覚えがある。
映画で描くべきことは道徳じゃない。
思い込みだけで言ってしまえば映画を作ることは犯罪することの代償行為であっていいのだ。
女も混ぜて一緒に楽しく青春ごっこやりたい為の自主制作映画群の中に飛び抜けてその毒々しい怒りに満ち溢れた「犯罪したラリパッパ」に私は打ちのめされた。
「てめえもここでバカ相手に御託並べてねえで、その怒りを作品にでもしてみろよ」と言われている気がしたのだ。
映画秘宝には爆風スランプの「たいやきやいた」が使われた音楽で印象的なものとされているが、私は一番プリンスのアルバム「パープル・レイン」の中に入っている「ビートに抱かれて WHEN DOVES CRY」が強烈に印象に残っている。
この「犯罪したいラリパッパ」はぜひ再会してみたい作品であるのだが、8mmということでちょっと難しいかもしれない。
そして「映画秘宝」で取り上げられている邦画で「激愛ロリータ密猟」(87年 佐藤寿保監督作品)、と「実録・安藤昇侠道伝 烈火」(02年 三池崇史監督作品)を未見なのが悔しい。
ゴジの2作品が入っていてもおかしくはないと思うのだが……。
22日。 毎月長男に買い与えている「ミュージックマガジン12月号」のアルバム・ピックアップのコーナーでまたしても頭脳警察がらみの過去の幻の作品がCDとDVD化されたという情報を得る。
作品のタイトルは 「1971 8.11〜16 幻野 幻の野は現出したか `71日本幻野祭 三里塚で祭れ」というものでLP「幻野」の完全復刻CD化とドキュメンタリー映像「日本幻野祭・三里塚」の初DVD化がボックス・セット仕様になったものだ。
さっそく近くのタワー・レコードに注文しようと行くと何と「頭脳警察」のコーナーに4セットばかり並べられていたのでその場で買って来てしまった。
まだブックレットもちゃんと読んでなく、CDも23日に豚汁を作りながら聞いただけなのだけれど当時の空気に圧倒された。
「ミュージックマガジン」に書かれているこんな解釈が的を得ていると思った。
「曲間に収められた『論争』…というよりはケンカ。関東弁でまくしたてる地元の人間と、おそらく京都方面の人間と思われる関西弁のアジテーションとのぶつかりあい、というよりはすれ違いに表れているのは、とにかくここで誰が何のために何をやっているのか、正確に把握していた人間はおそらく一人もいなかったということだ。そうした中、誰にも止められない状態で、大きな何かが進行していく。おそらくこれは、当時の日本の反体制運動やサブカルチャーをとりまくごく普通の風景だったはずである。」
80年前後ショーケンの2枚のライヴアルバム「健一萩原熱狂雷舞」と「DONJUAN LIVE」を聞きまくっていた者にとっては、下のAkiraさんの「無責任ものぐさ日記」には思わず感銘してしまった。
<50代シンガーのメッセージは一貫して、「人生はやり直しができる!」だ。>なんてもうたまらない。
そしてAkiraさんが書いている「ラストダンスは私に」はどんな風に歌詞を替えて歌ったのか気になった。
昔のアルバムの歌詞でも♪ロックンロールは○○みたいに心を酔わせるわ♪となっていて勝手に○○の部分は“悪魔”に違いないと解釈していた。
一番好きだった曲は「ローリング・オン・ザ・ロード」だ。
♪時が流れる 自由と引き換えにして また誰かを苦しめるだろう アイム・ア・ハッピーマン♪
この曲を確か内田裕也兄さんもアルバムに入れていてちょっと曖昧な記憶なのだが、テレビの「夜のヒットスタジオ」でも歌ったんじゃなかっただろうか?
前からAkiraさんとは好みのセンスがよく似ていると思っていたのだけど、偉い映画評論家の先生方には評判の悪い「KILL BILL」の感想をぜひ気が向いたら書いてほしいと思っている。
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無責任ものぐさ日記(4)
投稿者:
Akira
投稿日:2003/11/22(Sat) 19:48
Enter The Panther(ショーケンライブ)をめぐる話(2)
昨夜のショーケンライブから一晩たち蘇ってきた極めて曖昧な記憶の断片をつらつらと。
さすがにパフォーマンスは地味になった。腹がたっぷりと出てベルトが食い込んでいた。もっとも、13年前のショーケンを求める方こそ酷だ。しかし驚いた事に声量は衰えていない。かなりのヴォイストレーニングを積んだに違いない。ハープを吹き、マラカスを振りつつ熱唱する姿は真剣勝負に臨む男のそれである。
中盤あたりに、ゲストの井上堯之さん「酒と泪と男と女」のリードギターで登場。アンコールも含めて3曲位演奏した。この時点で、場内は興奮のるつぼ。ショーケンのノリもいっそう加速。順序はかなり前後するが、 テンプターズ時代の歌2曲を唄った。 タイトルは失念した。
十八番の「大阪で生まれた女」、「ラストダンスは私に」etc・・・。時代性を敏感に察知し、オリジナル曲の歌詞を一部替え、唄いもした。
裏返った声でのMCでは「毎年は無理ですが〜今回のように13年もブランクを開けづにコンサートをやっていきたいと思います」と嬉しい発言。三度の土下座。そして「さよなら」で幕は閉じた。
変型パンフによると「まだまだ人生これからなんで諦めるな」ということを伝えたかったそうだ。
オレは感じたよ。「Thank You My Dear Kenichi Hagiwara」。
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追伸、以下の文はあくまでも無責任ものぐさ日記(3)の一部です。
投稿者:
Akira
投稿日:2003/11/22(Sat) 02:21
スンマセン。
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Enter The Panther(ショーケンライブ)をめぐる話。
投稿者:
Akira
投稿日:2003/11/22(Sat) 02:14
オレは開演前、一時間早く、渋谷公会堂に着いた。昨夜、新宿花園神社の酉の市でかなり呑んだせいか、おつむは、どんよりとクモッテいた。来るべき時がきて、いざ、入場。オフィシヤルグッズとやらをひととおり眺め、木製の箱に入ったパンフの仕様が、気にいったので、迷わず手に入れた。
それから、オレのシートを探し、ゆらりと腰をおろし、トリスのスクェアポケット瓶の中味をグビッと胃に流し込んだ。その時、聴こえてきたのはstonesの「悲しみのアンジー」、それから矢継ぎ早に、ボブ・ディランの「風にふかれて」、マービン・ゲイの「愛のゆくえ」、ドアーズの「ハートに火をつけて」、ボブ・マーリーの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」。ショーケン登場の前には再び、stonesの「ブラウン.シュガー」。オレの精神は沸騰した!後はブラックアウト。
50代シンガーのメッセージは一貫して、「人生はやり直しができる!」だ。世間を構成する多数者の方々に感じて貰いたかった。もちろんオレも含めてな。
開演後は場内にビートルズの「愛こそすべて」が流れていた・・・。
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無責任ものぐさ日記(2)
投稿者:
Akira
投稿日:2003/11/21(Fri) 05:09
遅ればせながら、真の教養人殿山泰司氏に敬意を表して。
氏に教えられたのは、知識は人を傲慢にする。要は頭デッカチで
贅肉いっぱいのバカになる。まず、当人が、ツマラナイ。
また、教養は、教育されて得るのではなく、己で獲得するものである。
知識偏重は却って自分の内面を空虚にする。映画及び現実の見える物事の本質を直観せよと。まるで現象学のフッサールのようです。本当にカッコイイー人は、世に言うインテリとは違うという
気づきも与えられました。また、氏は「愛のコリーダ」でみっともない役を見事(?)に演じました。世の基準を軽くいなして平気でカッコワルくなれる人こそ、尊敬に値します。
今日は、ショーケンのライブに13年ぶりに行きます。
「KILL BILL」感想文は暫し棚上げにして、存分に楽しんで来ます。
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無責任ものぐさ日記(1)
投稿者:
Akira
投稿日:2003/11/20(Thu) 01:16
>ゴジサイト掲示板 現在不調
そうでしたか。危ういとこでした。事情を知らない小生は、怒濤のクレームをつけようかと思っていたとこでした。くわらばくわらば(苦笑)。
それにしても、大変ですね。復旧、一日も早く望んでおります。
時に、「KILL BILL」評、巷にウンザリするほど、溢れてますが、いずれ小生、もう一度、観てから感想文を書こうと思っています。ただし、表題にも言明したように、小生、自分の文章に責任は持ちません。
自分の文章に責任持てる位なら、とっくにエライ人になっとるって(笑)。
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ゴジサイト掲示板 現在不調
投稿者:
管理人べあ
投稿日:2003/11/19(Wed) 01:04 <
URL
>
ゴジサイト掲示板 現在不調です。
http://bbs1.parks.jp/08/goji/bbs.cgi
どうやらシステム自体がトラぶっているようで
しばしお待ちください。
BBS PARK サポート掲示板(レンタル元のサポート掲示板デス。)
http://bbs.parks.jp/Support/bbs/bbs.cgi
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ウィークエンド・ラブ 第77回
投稿者:
ラスタマン
投稿日:2003/11/10(Mon) 00:55
10月15日〜11月9日。
冬のボーナス一括払いでパソコンを買った。
子供の希望もあってSONYのVAIOにした。
19日に購入し、商品は25日に来た。
24日が宴会で、いつもながらの飲みすぎで二日酔いのズキズキする頭でPCショップにとりに行った。
帰って接続とかめんどくさそうなことはすべて子供にやらせた。
子供の作業をけだるい気分で見ていたら、母親を迎えに行く時間を忘れていて、電話で気付かされてあわてて迎えに飛び出た。
何をやってんだかまったく。
10月26日、名古屋市国際会議場白鳥CPにボクシングを見に行く。
と言ってもうちのジム所属の選手が出ているわけではない。
所属はOジムだが、職場の都合でうちのジムで練習していたMというA級のボクサーが出場するので応援に行ったのである。
対戦相手は主催ジムである名門MジムのWBC世界スーパー・バンタム級19位に入っているSという選手である。
「これに勝てば世界ランカーやぞ」と言っていたのだが、Mは仕事が忙しくて練習が週に2、3回くらいしかこれないし、来てもうちのジムも興行を終えたばかりでスパーリングの相手も満足に用意させてやれない状態だった。
この選手MはA級ボクサーでも戦績は28戦9勝14敗5分とパッとしないものではあるのだが、ほとんどの試合を敵地で戦い確かKOで負けたのは1度だけで後は限りなく疑惑に近い判定負けだらけなのである。
間近で試合を見てきた者ならそのテクニックは屈指のうまさを持っていることを知っている。
特にディフェンス技術は卓越している。
前試合のこともこの「誰でも日記」に書いたが、先日うちの興行で刺青野郎とメインをやった当時日本ランカーと戦ったのだった。
Mは、シャープなランカーのパンチをほとんど殺しきって翻弄しまくったが、これも敵地判定で2−0という負けであった。
ディフェンスには卓越したものを持っているが残念ながらパンチがないのが最大の欠点だ。
うちのジムの練習でも何度も腰を入れて打たすことを教えて来たのだが、長い期間かけてついてしまった癖はなかなか直りそうもない。
本当にこの選手のディフェンス技術に刺青野郎のパンチ力があれば、日本チャンピオンも夢じゃなかったと思う。
そういう選手なので対戦相手から見ると倒されるという怖さがなく、ディフェンスがうまいので長いラウンドを経験することができ、有効なクリーンヒットは出来なくても攻勢だけでなんとか判定勝ちにはつなげ易いという利用価値の高い選手として存在しているのである。
そんな構図がわかっている私は、この試合を中継しているリングサイドの東海テレビの中継をする実況アナウンサーと解説者の場所から2つ目の真っ直ぐ後ろの席に陣取った。
Mが倒されてしまったならば、何も言うことができないが、判定に持ち込まれるようなら少しでも主催ジムの選手に偏った裁定にならないようにさせてやろうと画策したのだ。
そしてこの世界ランカーとの大一番でもMのディフェンステクニックは冴えまくった。
おそらくMに比べ遥かに恵まれた条件で練習に専念できている世界ランカーSはビュンビュンと左やコンビネーションブローを矢継ぎ早に仕掛けて来る。
それらのパンチをパーリング、ストッピング、ブロッキング、ウィービング、ダッキング、ステップバック等あらゆるディフェンステクニックを駆使してことごとくMは外して行く。
私はそういう状況を実況中継するアナウンサーやら、解説する川島郭志やそのマイクに聞こえるように大声で激をとばしつづけた。
「そうそう、ようパンチ見えとるぞ!一発ももらってないぞ!気をつけるのは左だけや!後は大丈夫や!左だけしのげば怖ないぞ!ナイスディフェンスや!世界ランカー翻弄しとるぞ!相手ポイントにようしとらへんぞ!」
そんなセリフを大声で怒鳴りつづけた。
始めのうちはこちらを振り向いて「あそこで大声出しとんの誰や?」という観客や関係者の視線を浴びまくって多少恥ずかしかったが、無視して叫びつづけた。
選手はリングで戦っている。
こちらが気持ちで戦わなかったらどうするのだ。
何と4ラウンドにもつれた時、絶妙のタイミングでMの右フックが世界ランカーSのテンプルをとらえて、Sはスコーンとダウンしてしまったのだ。
立ち上がり「効いてない」とジェスチャーでSはアピールしていたが、足にきていたのは誰の目にも明らかだった。
KOチャンスにMはラッシュをかけたがこういう時、ガードの上からであってもレフリーストップを呼び込めるぐらいの迫力のあるパンチを打ちつづけることが出来ていたなら世界ランカー相手にTKOで勝利できていたかもしれないが、そんな千載一遇のチャンスをMはものにすることが出来なかった。
Sはゴングに救われた。
倒されて、次のラウンド以降、開きなおったSは。さらに激しく攻撃を強めた。
ダウンを奪って少し攻撃的になったMはほとんどのパンチを裁ききりながらも時たまに有効なパンチを受けるようになった。
そのうちの一つのパンチで瞼を切り出血しドクターチェックが入った。
嫌なムードの中、試合は続行され、Mはまた少し攻撃的になった。
そして頭を低くして打ってくるSのパンチじゃなく、頭(バッティング)を受け傷口をひどくして行った。
頭を何度も受けた傷口はさらに悪化し、8ラウンドにまた、ドクターチェックが入り試合は止められた。
ドクターチェックを終えた後、Mは身体はピクリとも動かさずただ頭だけを静かに垂れた。
両手をロープにおいたまま、頭だけを垂れ、そのままずっと静かに動かず直立しつづけた。
静まった会場で私は「こんなとこで止めるのかよう!」と野次をとばした。
二人の選手を並べて勝者の手を上げねばならないレフリーに施されやっとMは動いてリング中央に連れて行かれた。
バッティングでひどくしていった傷ではあったが、最初にきっかけを作ったのはパンチによるものなので試合続行不可能ということでレフリーストップによるMの敗北だった。
レフリーを中央に3人が並びレフリーはSの手を上げた。
その姿にも私は「○○(Mの名)、おまえの勝ちだ!」と叫んだ。
驚くことにその声に会場から同意を示すかのような拍手が少なからず起こったのだ。
試合が終わり引き上げて行くMと所属するOジムの関係者の後をすぐに追おうかと考えたが、あまりしゃしゃり出ても行けないと考えて、次の試合のラウンドの合間になってからMの控え室に行った。
Oジムの関係者だけがいて、Mの様子を聞くと直ぐに縫う必要がある深い傷なので縫ってもらっているということだった。
次の試合を観戦してしばらくして再び行くと包帯を巻かれた痛々しい姿のMとうちの刺青野郎とKの3人が立ち話をしていた。
「なんやおまえら来とったんか。」と刺青とKに言い、Mに「惜しかったなあ、後2ラウンドやらせてくれたら世界ランカーかもしれやんだのになあ」と言った。
痛々しい姿ではあったがMはもはや無念の表情を捨てていつもの好青年の表情になっていた。
「しかし、○○(Mの名)は負けのレコードを増やして行きながらその評価を高めて行くという不思議なボクサーやなあ。」と私は言った。
Oジムは興行をやることのないひっそりとした目立たないジムだ。
なんとかうちの興行ででもMを使ってやってチャンスを与えてやれるような試合を組んでやりたいものだと思った。
会長もMの実力を高く買っていてうちのジムで練習することを話した人なのでそう考えてくれているのではないかと思うのだが……。
11月1日、鈴鹿ベルシティ内のワーナー・マイカル・シネマズに「キル・ビル」を見に行く。
「キル・ビル」(米 03年)
こういう新作について書く時って【ネタバレ注意】とかって書かねばだめなのか?
何だかうっとうしいのでこの「ウィークエンド・ラブ」は今後ずうーと【ネタバレあり】だと宣言しておこう。
大好きなバイオレンス・アクションであるということで、楽しみにしていた。
しかし、人気監督がB級アクション映画にオマージュを捧げたような内容だということで嫌な予感もしていた。
「映画は素晴らしい」とか歌いあげている作品って、結局、映画ファンである自分を愛おしんでいることである。
そういうくだらないナルシズムにつき合わされることほどつらいことはない。
「映画ファンってそんなに素敵なのかよ。映画見ている間にもっと建設的なことやっている奴らの方がずっと偉いのじゃないのか」とからみたくなる。
映画で元気を得なきゃあならないなんて結構悲しいことだと思う。
そう考えている人間にとっては映画を結構なご趣味として扱っている手合いとは肌があわんのだ。
「『キル・ビル』もそんな映画になっているのじゃないだろうか……」
しかしそんな不安は映画が始まってまもなく吹き飛んだ。
否、正直に言えば見事にはまってしまっていた。
一番映画にのめり込んでいた頃の高校生時代の気分を久々に味わった。
“深作欣二に捧げる”に始まって“「女囚さそり」梶芽衣子の「怨み節」”で終わるこの映画に“オマージュ”なんて横文字は似合わない。
そんな横文字で説明するのが気色悪いくらい見事にかつて私も夢中になった邦画プログラムピクチャーの影響が作り手の血となり肉となって作品の面白さに生かされているのだ。
マカロニ、カンフー、ヤクザ、チャンバラ…それらのエキサイトなエッセンスが滅茶苦茶かっこ良く詰め込まれているのだ。
激しく動く死闘シーンの連続で主演のユマ・サーマンも良くがんばっている。
相当きつい撮影だっただろう。
でもそれにも増して敵役がいい。
正直言うとユマ・サーマンは動きのキレという点で我らが志穂美悦子に、復讐に生きる女のシルエットという点で我らが梶芽衣子には劣っている。(この二人は凄過ぎた。)
何といってもオーレン・イシイ(志穂美悦子の役名からつけられた名だ!)役のルーシー・リューとゴーゴー夕張役の栗山千明だ。
女子高生ファッションからは想像つかない不敵な面構えで“ゴーゴーボール”を操る栗山千明にはしびれまくった。
劇場の上映作品関連グッズ売り場にもユマ・サーマンと同様に栗山千明のゴーゴー夕張のポスターが売っていた。
ゴーゴー夕張ってネーミングは夕張映画祭から来ているのだろうか?
だとしたら凄いぜ北海熊/naoさん!!
中国人と日本人の混血でヤクザの大ボスというルーシー・リューはその役柄に負けない気迫でこちらもゾクゾクさせてくれた。
やくざ親分達が集う中でオーレン・イシイが大ボスであることにたてつく一人の親分の首を啖呵を切ってぶった切るシーンにはぶったまげた。
またマカロニウェスタンの音楽をガンガン使った彼女が闇の女エージェントになるまでの過去を描いたアニメパートの凄いこと凄いこと。
とにかくこのルーシー・リューのモデルになったのが「修羅雪姫」の梶芽衣子だということがいいのだ。
「緋牡丹博徒」のお竜さんこと藤純子も悪くはないが、やっぱり藤純子やら高倉健の任侠映画には、池袋文芸座あたりで全共闘の大学生がスクリーンに向かって「意義なーし」などと言っていきがっていたというイメージがあって高校中退してビデオ屋で働きながら脚本書いていたタランティーノや高校生でもバイトで稼いでは映画ばかり見ていて受験勉強なんてもんには無縁だったこちとらのアイドルにするにはちょっと違っているのだ。
梶芽衣子には、もっと恵まれずに育った奴の想いを投影させやすいものがあるのだ。
映画を見てすぐに同じショッピングセンター内にあるタワーレコードにサントラを買いに行った。
何より聞きたかったのが梶芽衣子の曲で「修羅の花」は入っていたのだが、エンディングの「怨み節」が入っていなかったのが残念だった。
ところが何と息子からの情報でこの「キル・ビル」人気で彼女の「怨み節」がCDとなって再販されるという。
そういえば「座頭市」や「七人の侍」と言った映画キャラのドールを製作販売してくれているアルフレックスからも梶芽衣子のTVドラマシリーズ「戦国ロックはぐれ牙」のドールが出たばかりなのだ。
「女囚さそり」だったならぜひほしかったのだが、「はぐれ牙」とは何ともマニアックな選択で驚いていた。
映画ならともかくこんなテレビ番組を憶えている人っていったいどれくらいいるのだろう?
私はこのドラマの梶芽衣子の歌う主題歌の出だしを憶えている。
確かこんな歌詞だ。
♪強い奴は、えらい奴さ。 死ぬ奴は、バカさ♪
ドール「はぐれ牙」に映画「キル・ビル」、そしてCD「怨み節」と何だか静かな梶芽衣子ブームではないか!
大好きな「女囚さそり けもの部屋」のDVD買って持っているので近いうちに再会してみよう。
この「キル・ビル」は、何だか今年のキネマ旬報のベストテンに入ってきそうな気がする。
しかし、この作品を選んでくれる映画評論家等の選出者の中にどれだけマカロニやらカンフー映画やらを愛して語ってくれてきた人がいたかと考えると何だかへそ曲がりの私としては安易に「『キル・ビル』がいい」とか言ってほしくない気分もあるのだ。
「キル・ビル」を好きだと言っていい映画評論家って誰なのだろうと考えた。
勿論、B級アクション映画やら、プログラムピクチャーを偏見なしで語ってきてくれた人ということだ。
川本三郎はいいのだけれど年をとるに連れてこの人は本当に穏やかないい人になってきた。
好きなことだけを書き、嫌われることは書かない人になった。
東大文T出身というインテリということも含めてこの人がやると何だか私のようなひがみ根性の強い人間はどこかに“照れ”があるのじゃないかと勘繰ってしまうところがなくもない。
石上三登志は暗い情念とか似合わない。
西脇英夫はいいかもしれないし、マカロニということを考えたら二階堂卓也になるのかも。
そう考えていて私は久しく忘れていた球麿元男という名前を思い出した。
私が「キネ旬」を読み始めた1974年頃、この球麿元男は良くプログラムピクチャーのことを熱心に書いていた。
このサイトでこの評論家のことを知っている人はいるだろうか?
ドリフターズの喜劇映画や千葉真一や志穂美悦子の空手映画のことも偏見も判官贔屓もなく淡々としていてしかも熱く語ってくれていた人がいた。
ベストテンの選出者とかにはならなかったが、きっちり映画を見て語っている数少ない人として好感を持っていた。
この人の文章や考え方に影響を受けていると思う。
確かある時、突然の断筆宣言をして書かなくなった。
どこかで、鬱病だったとか、病死したとか書いてあるものを読んだ記憶がある。
何だか今無償にこの人が書いた映画評論をまとめて読み返してみたくてしょうがない。
もしこのサイトで球麿元男について知っている人がいたら何でもいいから書き込んでくれないでしょうか?
話しが脱線してしまったが、とにかく「キル・ビル」は2とDVD化が楽しみなのだ。
11月2日、名古屋ドームのフリーマーケットに行き、ガシャガシャ(カプセルトイ)やら食玩をセット買いして来る。
11月3日、名古屋市公会堂にボクシング全日本新人王西軍代表決定戦を見に行く。
すでに大阪やら九州を中心とした2ブロックで対抗戦をした勝者が名古屋に来て西日本の代表を決定するという言わば全日本新人王の準決勝のような決定戦だ。
中日本の新人王になった者でこの西軍代表決定戦に勝利したのはフライ、スーパーフライ、バンタムの3階級であった。
全部で11階級あり西軍のブロックが3ブロックあるということから単純に確率で考えると後一人は勝ってもよかったのだろうが、最優秀にスーパーフライ、技能賞にフライの選手と3勝のうち2つをとったことは中日本ボクシングにとっては上出来だったとも言えるだろう。
さすがにこの辺のレベルになってくると見応えのある試合が続出した。
とくに技能賞をとったフライ級のO選手は以前から注目していたのだが、今後が期待できると断言して間違えないだろう。
ロイ・ジョーンズそっくりな動きでノーガードの状態から目にも止まらぬ速さのパンチを叩き込んで行く。
そのスピードと反射神経の良さは驚異的だ。
12月21日後楽園ホールでの全日本新人王の決勝戦の結果が楽しみな選手である。
それにしても来年こそここにうちの選手がいれるようにがんばりたいものだ。
見た映画。
「Mr.ディーズ 」(02年 米)
「K−19」(02年 米)
「木曜組曲」(01年 光和インターナショナル)
「ノット・ア・ガール」(02年 米)
「ボーン・アイデンティティー」(02年 米)
「いちげんさん」(00年 スカイプランニング=ホリプロ)
「ピーター・パン2/ネバーランドの秘密」(02年 米)
「Dolls ドールズ」(02年 松竹=オフィス北野)
たとえば「浮雲」や「秋津温泉」やあるいは「失楽園」のように男女が現実社会からドロップアウトして行くことによってしかそれが真実であることを証明できないということが恋愛には確かにあると思う。
島尾敏雄の「死の棘」やら谷崎潤一郎の「春琴抄」を思い出させるこの北野武の「Dolls ドールズ」もそういう意味では確かに恋愛を描いたドラマなのだろうが、それ以上にこの人の作品に一貫して流れている“死を覚悟した人間の凄み”に圧倒される。
「浮雲」や「秋津温泉」は転落して行く二人を静かに見つめることでかえってその時代や社会背景に想いをはせる構造を持っていたと思うが、この「ドールズ」は絶えず現実社会に普通に生きている人間とは違うのだと強調し比較させ死ぬ覚悟を持っているのだと凄ませる。
本当にこの人の作る映画の主人公はいつも凄んでいる。
だが、私はこういうことを表現して成功してしまっていることに自己矛盾を感じることなく、さらに同じような人間を表現しつづけるこの人のありようが胡散臭くて仕方ないのだ。
そして何より情けなく感じるのは“死を覚悟した人間の凄み”をいつもそうではなく生きることに執着しているだらしない私のような凡人の世界においてそれとの対比の上で際立たせようとしていることだ。
もっと端的に言ってしまえば、“死を覚悟した人間”ならそういう人間たちが集う場所に行って勝負しようとしていないことがむかつくのだ。
ヤクザ社会でもいい、四角いリングでもいい、そこに行って勝負すればいいのだ。
北野武の映画を見ていると私のような凡人はいつも威嚇されているような気分になる。
この人の映画は強者が弱者をせせら笑っているドラマだと思えるからだ。
ペキンパーの酒や娼婦を愛し時代から取り残されていく荒くれで下品な男達にはとても聖なるものを感じるのだが、どうしても私はこの北野武の「凄む」という精神に卑俗なものを感じてしまうのだ。
凄まれて圧倒されているのではなく、少し元気出して凡人の私も開き直って言い返さねばいけない。
「海外の映画祭でチヤホヤされて北野監督も生きることを楽しんでるじゃん。だったらもう小難しい顔をした登場人物はもう御免してほしいよ。今度そんな顔の主人公が出てきたらコチョコチョってくすぐってやる。だって監督は本当は結構そつなく器用に生きているのだからね。」
「小早川家の秋」(61年 東宝)
「秋刀魚の味」(62年 東宝)
「チルファクター」(00年 米)
「シャーロット・グレイ」(01年 英 独 豪)
「極道恐怖大劇場 牛頭(ごず)」(03年)
「ケミカル51」(02年 米 英 加)
「式日-SHIKI-JITSU-」(00年)
「ギャング・オブ・ニューヨーク」(01年 米)
「ルール3」(米 01年 未公開)
「T.R.Y. トライ」(02年 日 中 韓)
「ノー・グッド・シングス」(02年 独 米)
「ディレイルド 暴走超特急」(02年 米 独)
「28DAYS(デイズ)」(00年 米 未公開)
「一人息子」(36年)
「ストーカー」(02年 米)
「座頭市地獄旅」(65年)
「座頭市血笑旅」(64年)
「座頭市逆手斬り」(65年)
「宗方姉妹」(50年)
田中絹代にはかつて上原謙という限りなく恋人に近いような友人がいた。
なぜか結婚するタイミングを逃し田中絹代は山村聡と結婚することになった。
しかし山村との夫婦関係はうまく行っていない。
山村が友人でもある上原のことを今も田中は恋い慕う気持ちがあるのではないかと疑っているからだ。
ある時、山村が田中に言う。
「もう俺達、別れた方がいいのじゃないか。」
田中は「どうしてそんなことをおっしゃるの?どうしてなの?」と詰問する。
「おまえのそういうところが嫌いなんだ。」
山村聡はそう言って立ち上がり正座している田中絹代の元に駆け寄り何度も頬をびんたする。
バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ。
田中絹代はそれを身じろぎもせずに受けつづける。
小津安二郎の他の映画ではお目にかかったことのない激しい暴力シーンに見ているこちらはたじろいでしまった。
結局そのことで田中は山村と離別することを決心し、新たに上原と生きようとするところで山村が心臓マヒで死ぬ。
その死に責任を感じた田中は「いつまでも待つ」と言う上原と別れ一人で生きる決心をしたところで映画は終わる。
何だか生涯独身を通した小津安二郎が秘めていた恋愛とか異性とかに対するとても激しい感情を見せられた気がした。
そしてもう一人、小津映画の名作のヒロインでありこちらも独身を通し「永遠の処女」などと言われた原節子のことを考えた。
小津と原は「麦秋」(51年)の撮影の頃、結婚の噂が随分あったそうだ。
そういう噂がありながらどちらも生涯独身であったということが興味深い。
自分にも異性にも厳しさを求めた二人だったのだろうか?
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チンゲンショウ
投稿者:
ことえり
投稿日:2003/11/09(Sun) 02:42
何故だろうか、、わたしのパソコン上だけなんだろうか、、、まさか。
けれど、日記の更新が、ほぼ一月の間ストップしているのは、何故だろうか。しかし今日の東京は春みたいに暑かった。
(ラスタマンさん、伊藤さん、東海地方の話題、書いてくださいよぉ)
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