誰でも日記過去ログ
048〜057


[57] 夜は台所でゆっくりが一番 秋の(更に)夜長の始まり 投稿者:ことえり 投稿日:2003/10/16(Thu) 01:46  

さて、最近メキメキ上達する夫の料理の腕前に刺激され、夜仕事が無い日は、ゆっくりと台所で過ごすことが多くなった。いや、前々から料理は好きだったけれど。主婦の立場として、早くてウマい、これ最高、とばかりに雑になっていた部分を素直に反省し、素早く丁寧に、をモットーに包丁を握る。これらは実は明日のごはん。
 久しぶりに網がけのが手に入ったので、煮豚。おまけのタレを使うことにし、甘口なので大根も煮含めることにした。大根は、今日買った息子のマンガ月刊誌にちなんで、コロコロサイコロに。
豚は、まず、熱したフライパンでコロコロさせて、じっくりと全体に焼色をつけて。
 小松菜のお浸し。湯がいて水に取り、包丁を入れてもう一度軽く水気を絞る。それにだし醤油と鰹節、、、それだと今夜の夫作のほうれん草のお浸しもどきになってしまうので、変化を。網であぶった油揚げを細目に切り小松菜とあえた。ここから先は、too muchかどうか微妙なところだけれど、細目に切ったハムとミョウガを加えてみた。明日の家族の感想はYesだろうか、Noだろうか。。
 こないだ食べた夫のキンピラが忘れられなくて自分で作った。
牛蒡のアクは体にいいと知ってからは水に取らないようにしているが、熱した胡麻油とサラダ油に輪切りにしたとうがらしを加えて軽く炒め、そこへまず牛蒡、全体に火が通ったところで人参。味付けは、砂糖、酒、みりん、だし醤油、塩少々と普通の。
じっくり木ベラを使っていると、まあ、まあ、いつの間にやら出来上がり〜。キレイに切りそろえた野菜は、炒めていても美しい。
思わず一杯やりたくなってしまったのだった。




[56] ウィークエンド・ラブ 第76回−2 投稿者:ラスタマン 投稿日:2003/10/15(Wed) 00:54  

 勝利を告げられ刺青野郎は一端は泣き崩れかけたが体勢をたてなおしコーナーのロープに駆け上がり観客の歓声に答えた。
 わたしも腕を突き上げ歓喜に叫んだ。
 レフリーに手を上げられる瞬間また刺青野郎は泣き崩れかけた。
 対戦相手が私達のコーナーに挨拶に来た。
 私は「試合受けてくれてありがとう」と言ったのが聞き取ってもらえたかどうかわからないような歓声に館内は支配されていた。
 リング真下に駆け寄って来る刺青野郎の連れらしき不良達、六回戦を戦ったうちの選手達はリング上に上がってきた。
 そういう派手なことを極力嫌うセミを戦ったKまでもがいる。
 Kは、刺青野郎と共に励ましあい自主キャンプを貼り、きついロードワークを競ってきたのだ。
 二人はリング上で抱き合った。
 まるで熱血スポーツマンガか映画の世界にいるような気分になっていた。
 伊藤さんもリング下に来てくれた。
 私はリングから降りて伊藤さんに挨拶をした。
 伊藤さんは私の手を強く握り締めた。
 選手の身体に塗ったワセリンでコーティングされた手だったので一瞬ためらったが私も強く握り返した。
 伊藤さん、ベタベタした手で申し訳なかったです。
 控え室に戻る途中にも刺青野郎は次々と祝福を受け泣いた。
 やっと控え室に戻るっても床につっぷして声を上げて泣いた。
 見ているこちらも貰い泣きした。
 やめていった元トレーナーに促され起き上がりイスに座ったが次々とやって来る友人たちに「おまえは、男や!」「ほんまもんの男や!」と言われる度に泣いた。
 幼馴染のトウフ屋の息子のデブがやって来た。
 刺青野郎は「おまえは、顔を出すな。泣いてまうで……。」と言いながら泣いた。
 そんな騒ぎがひとくぎりついた後、私は刺青野郎のグローヴを外しハサミでバンテージを切った。 「ああ、そや○○(対戦相手の名)に挨拶に行かな。」と刺青野郎が言う。 
 「そやの、はやく言って来い」と私。
 刺青野郎は、グシャグシャの泣き顔のまま相手側控え室に行き戻って来た。
 相手選手は「がんばって」と言ってくれたそうだ。
 会場では手早いイスの片付けとリングの解体とトラックへの積み込みと清掃がとても早いテンポで行われていた。
 午後5時過ぎには全てが完了し、私達はジムへと向かった。
 国道23号線の名古屋方面へと向かう反対車線は大渋滞であった。
 この日は、私や私のジムのある町では国際的な自動車レースが行われていてそのレース観戦後帰路に着く人々による大渋滞だった。
 その自動車レースに比べて私達が戦ったボクシングは会場も興行としても比較の対象にならないくらいちっぽけなものだったけれど、見た人々に与えた“熱”は決して最先端のフォーミュラーマシンが発したそれにも負けない熱いものだったと思いたい。
 一度ジムで荷物をおろした後、祝勝会の居酒屋でいつになく上機嫌な会長の「俺もすごかったんやぞ」という若き日の武勇伝を聞きながら私も大酒を飲んだ。
 この日の試合の判定を巡って相手コーナーの応援団はそれを不服として騒いでいたそうだが、会長は「○○(対戦相手名)は試合後の挨拶で『ありがとうございました。負けました。』と言ったんや。そういうことや。」と言った。
 刺青野郎も悪いことではかなりの武勇伝があり私もかなり知っているがこの酒席で会長から聞かされた「高校を退学になった時、高校の窓ガラスを全部割った」というエピソードは初めて耳にするものだった。
 ショッピング・センターの屋上で決闘をやり相手を失明させその弁償を親が面倒みるのと引き換えに勘当された。
 アベックの車を突堤から海に落とした。
 本当にそういう大馬鹿野郎が見る者を泣かせてしまうような感動的なファイトをやってのけてしまったのだ。
 学校の成績は結構良かったそうだ。
 父親は一級建築士であることをある人から聞いて驚いて私は直接に刺青野郎に聞いたことがあった。
 「親父さんそういう人やのに、何でおまえはこんなんになってしもたんや?」
 「母親が最悪やったっすわ。中学校ん時、俺いっぺんも弁当作ってもうたことないんすわ。普通そんな親っております?そんなんでぐれやんだら変でしょ。」
 恐らく「弁当」だけでなく他にもいろいろとあったのだろうと想像した。
 そういったこと全てを「弁当」に象徴させて言っているのだろうと思った。
 そしてもっと具体的なことを聞き出そうとしたがそれ以上は答えようとしなかった。
 人前で食べることが恥ずかしいようなみすぼらしい弁当を何度も経験したことはあったが、それでも作ってはもらえていた私は少なくともこいつよりはましだったのかもしれない。
 さて、これを書き上げたことで勝利の余韻にひたることにはくぎりをつけて明日からはさらに上を目指してがんばらせることを考えなくてはいけない。
 
 見た映画。 

 「I am Sam アイ・アム・サム」(01年 米)
 
「ekiden [駅伝]」(00年 東映)

 「バレンタイン」(01年 米 未公開)

 「狗神」(01年 東宝) 

 「オールド・ルーキー」(02年 米)

 「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」(00年 東宝) 

 「モンテ・クリスト伯」(02年 英 アイルランド)
 ゴジはムショでダンボール10箱分(20箱だったかも?)の本を読んだ。
 矢吹ジョーは少年院でボクシングを憶えた。
 女囚さそりこと松島ナミはムショで後ろで手足を縛られたまま口にくわえたスプーンを床にこすりつけて尖らせてナイフへと変えた。
 「ショーシャンクの空へ」の主人公は、ピンナップの後ろの壁をほりつづけて脱獄した。
 この「モンテ・クリスト伯」も牢獄の中で哲学やらの学問を学び剣の腕を磨いた。
 人は抑圧された状況でこそ凄い事をするのだ。
 少しばかりムショ暮らしに憧れがある。
 交通事故を起こした時、反則金を払わずに交通刑務所に入ってはダメなのかとコンコンと説教してくれていた職員係長に言ったところ「退職する気で言っているのか!何を考えている!」とさらにこっぴどく叱られた。
 こんな仕事やっているとムショ暮らしは見果てぬ夢で終わりそうだ。
 もしも生まれ変わることができるのなら、刑務所の中でしっかり勉強して出所した後に司法試験を
受けて合格してみせるみたいなことをやってみたいものだ。

「ハート・オブ・ウーマン」(00年 米)

 「ことの終わり」(99年 英 米)

 「コンセント」(01年 オフィス・シロウズ=メディアボックス)
 
 「白い船」(02年 白い船製作委員会)

 「好き」(00年 click-cinema)

 「ラスト・キャッスル」(02年 米)

 「アカルイミライ」(02年 アップリンク=デジタルサイト=クロックワークス=読売テレビ)

 「火山高」(01年 韓国)

 「ピースメーカー」(97年 米)

 「ワイルド・アパッチ」(72年 米)

 「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」(01年 東宝)

 「東京マリーゴールド」(01年 電通=テンカラット=オメガ・プロジェクト)

 「目下の恋人」(02年 フューチャー・パイレーツ)

 「戦う幌馬車」(67年 米)



[55] ウィークエンド・ラブ 第76回−1 投稿者:ラスタマン 投稿日:2003/10/14(Tue) 01:05  

 9月22日〜10月14日。
 仕事が最盛期と言われる最も忙しい時期であった。
 この時期は熱を出していても休むことがはばかれるような日程だ。
 中腰になってする肉体労働の連日で、虚弱な私は腰を痛めてしまった。
 10月6日の月曜日の仕事の後に腰に痛みを感じていたのだが、その後ジムでミットを持ったことでさらに負担をかけてしまい、帰宅して入浴後になると腰が動かなくなってしまった。
 7日の火曜から10日の金曜までのその中腰になる仕事をいずれ移行して行く民間の見習の人の協力を得てなんとかやりすごした。
 しかし仕事よりも気になっていたのが11日に予定されていたボクシングの主催興行のことだ。
 その日までには腰をなんとかしなければ――。
 9日に仕事が予定より速く片付いたので鍼灸院に行かせてもらうことにした。
 電話帳で調べて一番大きく掲載された鍼灸院を尋ねた。
 電話帳での文字の大きさからは想像できない小さな民家で盲目のおばあさんが一人でひっそりとやっている鍼灸院だった。
 点字の本が開かれておいてある部屋で、老婆の前でパンツ一丁になり私はベッドに横になった。
 まるで異世界に来たような気分になっていた。
 その鍼は刺さった感触もないような不思議な鍼だった。
 盲目の老婆は鍼治療をしながら、昨日地震があったらしいこと、米泥棒が増えていることを語りこの鍼のことをホンジュホウとかヒュウチホウとかケイリャクチリョウとか知識のないこちらには何なのかさっぱり分からない言葉で説明した。
 話し易い雰囲気なので、私も思い切って質問してみた。
 「目の方はいつ頃からお悪いんですか?」
 こんな失礼かもしれない質問に対しても老婆は淡々としかし明確に答えてくれた。
 「私の両親は血縁結婚です。その血縁結婚により○○が○○で○○が○○になり私は生まれた時から目が見えません。○○まで普通学校に行き○○から○○の盲学校に行きました。その後○○をし、東京の○○学校で鍼を習いました。」
 そう言う老婆の言葉を聞きながら、人が生きるということの厳粛さに私は慄然とせずにはいられなかった。
 老婆は「12日にもう一度来て下さい。3回治療を受ければ、必ず腰はよくなります。」と言ったが12日は主催興行のある日だし、その後も仕事の日程を考えると来ることは困難かもしれないと思った。
 鍼治療を受けた帰り道で腰の具合のことよりも老婆の人生のことばかり考えた。
 がんばっているのは、ボクサーだけではない――。

 12日のボクシングの主催興行でうちのジムから出場する選手は8名と書いたが、そのうちの造酒屋のNがスパーリングでアバラを2本骨折して不出場となり7名になった。
 6回戦以上の試合には会長がチーフセコンドをするので他の4回戦は私がチーフセコンドをすることになっていたのだが、この腰の具合ではロープをくぐるのも辛い作業になりそうなので若いトレーナーにチーフをお願いした。
 午前7時にジムに集合し荷物を積み会場となる四日市オーストラリア館に向かう。
 会場の周りのポスター貼り、運ばれて来たリングの設営の手伝い、イス並べ……それらの作業を腰痛の私は身体を出来るだけ動かさないことで関わった。
 11時から選手のバンテージを巻いていたら、プロテストがちょうど始まったのだが、見ている余裕が全くなくて残念だった。
 うちのジムからは4人が受験したそうなのだが、中にはスパーリングもろくにやっていない練習生が受験生としているのに驚いた。
 うちのジムも選手が増えて来て下まで目が届きにくくなってきている。
 次々とこなして行かなくてはならない行事の中でバタバタとしているうちに第1試合が定刻の午後1時に始まった。
 東京Kジムで日本ランカーとして活躍している弟の兄のライト級4回戦。
 抜群のカウンターのセンスを持つ弟に対して兄は強いパンチを持っていながら試合では固くなって未だに勝ち星に恵まれない。
 この日、会場に来ていた弟が急遽チーフセコンドとして兄の試合に着くことになった。
 しかし結果は2ラウンド偶然のバッティングで額を切った兄の出血がひどく試合続行が不可能と判断され1,2ラウンドまでの判定で決められることになり、その判定で敗北となった。
 少し固さがとれたボクシングが出来始めかけていた頃のアクシデントだったので残念だった。
 2試合目。
 とてもボクシングをやるとは思えないような優しそうな大学生のフライ級4回戦。
 スパーでは結構強さを見せてくれているのだが、試合では何故か強い相手にばかりあたってしまい2連続判定負けを喫している。
 しかし実力的にはそんなに悪い選手じゃないと確信していて、「おまえの実力なら絶対4回戦で終わるレベルじゃない」と励まして来たのだが、この日は何と1ラウンドKO勝ちであった。
 ちょっと振りの大き過ぎるところが気になったが、何より初勝利が真面目にがんばっている選手に与えられたことが嬉しかった。
 3試合目に他のジムの戦いをはさんで4試合目。
 漁師町からボクシングをやる為にここに出てきた選手の55キログラム契約の4回戦。
 ミット打ちやらサンドバッグでは豪腕の強いパンチが激しい音をたてるのだけれど、肝心の試合となると固くなっているのと狙いすぎで一行に強打は炸裂しない。
 手数では圧倒的に相手選手だったのだが、パンチの振りの激しさなんてのを見てもらったのか1−0の分のいいドロー判定だった。
 あきらかに負けている試合だと思ったのでこの引き分けはおいしい判定だった。
 控え室に戻るなり選手は「すいません。すいません。」を謝りながら泣いていたが、私達に謝ってもらっても何の意味もないことだ。
 もっと自分のボクシングをちゃんと見つめることからやり直さないとせっかくの強いパンチを生かせないままこの選手は終わってしまうかもしれない。
 5試合目も他のジムの戦いで6試合目。
 一昨年中部の新人王の技能賞に輝いた選手の58キログラム契約の4回戦。
 相手も沖縄出身の選手と引き分けた好選手。
 この試合とメインが今回一番注目すべき試合だと思われていた。
 ロングのワンツーではうちの選手に分があったが、相手の選手の早いコンビネーションにも目を見張るものがあった。
 しかし真っ直ぐに正面から仕掛けて来るワンパターンの攻めしかないのでまっすぐなパンチをあわせることにはたけているうちの選手の方がやや上回っているように見えた。
 判定もその通りで3−0の完勝であったが全て1ポイント差という僅差だった。
 これでこの選手は4回戦を卒業し、次戦からはB級の6回戦となる。
 パンチのキレではうちのジムきってのものを持っているので、スタミナさえつければさらに上を目指せる選手だと思う。
 7試合目はかつては3連続KOをしたこともある強打者の54.5キログラム契約の6回戦。
 ほとんど引退同然だったのだが、地元の興行であるし鳶・重量工事会社の代表をもつとめる人気者で客を呼べる選手なので会長が再起させたのだ。
 およそ2年ぶりぐらいの試合なのだが、さすがに人気選手なので垂れ幕も掲げられ花束の数も過去のうちの選手の中では一番多くもらっていた。
 低い身長でのがっちりした体型はいかにも強打者なのだが、相手の選手はさらに低い身長にもかかわらず身体にたるみがあるのが気にかかった。
 試合が始まっても相手選手の動きにはキレがなくなんとなくモッサリしている。
 これは6回戦レベルの選手じゃないぞ、楽勝かなと思っていた。
 しかし接近戦になると、あきらかにこれで6回戦に上がってきたらしい相手を見ずに勘だけで打ち下ろす左ストレート(サウスポーだ)を何度となくヒットして来る。
 予想外の苦戦ではあったが、パンチの質では明らかに上回りたるんだ身体にボディブローがヒットすると倒すのは時間の問題に思えたが粘られて判定になってしまった。
 しかしこの背の低い相手は苦手なタイプではあったのだろうが倒してあたりまえの選手だったと思う。
 まだ、全盛期の距離感とタイミングが戻ってきていないのだろう。
 判定勝ちが告げられ選手は相手側コーナーに行って挨拶をするのだが、相手の選手はこちらに歩いてくるのも苦しそうなくらいグロッキーな状態だった。
 今回は出来が悪かったがこの選手のパンチも6試合目の選手と並んで倒せるキレと力を持った素晴らしいものだ。
 まだまだ現役続行してほしい選手だ。
 8試合目がアバラ骨折になった選手の試合で中止で9試合目がセミファイナル。
 かつてガチンコ最強の箕浦と引き分けた選手のフライ級6回戦。
 本当にこの選手は4回戦で消えていってもおかしくないような平凡な選手だった。
 4回戦では3勝3敗2分けというパッとしない戦績でなんとか6回戦にあがったが、6回戦にあがってからは負け知らずでA級ボクサーへと昇格した。
 目の手術をしての2年間のブランクがあるのだが、試合出場にドクターストップがかかっている期間にもずっと練習に来ていて、上体が前に突っ込まないボクシングといやらしい接近戦のテクニックを身につけた。
 個人的にはもっとも誉めてやりたい選手だ。
 パンチ力がなく倒すことが出来ないのが難なのだが、そのいぶし銀のようなテクニックは素人にはわかり難いが本当に玄人受けするボクシングである。
 相手選手もリングインして始めたシャドーを見るだけで「いい選手だ」と思わせるものを持っていた。
 確かにシャープなワンツーに綺麗なフットワークだった。
 しかしそういう綺麗なボクシングがうちの選手Kの前では通用しないことを私は確信していた。
 試合が始まってもその確信が揺らぐことはなかった。
 Kは相手のロングのパンチを外したりパーリングやらストッピングしたりした直後に返しのパンチをヒットさせ飛び込んでは回転の速いコンビネーションで追い込んでいった。
 しかしそういうテクニックが派手さに欠けアピールし難いものであることも確かだった。
 心配したことはひとつだけ、こいつのボクシングを分かってくれるジャッジがいてくれることだけだった。
 この試合は私の中では楽勝の完勝であったがやはりジャッジは2−0というきわどい勝ちになっていた。
 ひとりは4ポイント差という大差でKの勝ちと見てくれていたがこれを引き分けにするバカもいるのだから判定は怖いのだ。
 あえて実名を出すが専門誌でも評判の悪い中日本ボクシング協会の審判団の中でもひときわサカイタニヒトシの判定には疑問を感じることが多い。
 2−1の判定になった時たいてい1の側にいるのがこの人だ。
 この人の審判としての資質を問う声がさらに大きくなってくれることを切に願う。
 セミの試合について会長はKにかなり厳しい苦言を言っていたし、K自身も「相手もカウンターのアッパーを持っていて狙っているのがわかり迂闊に飛び込めなかった。今までの中でカウンターのタイミングでは一番怖い相手だった」と冷静に言っていたが、そう分析できているだけでもやっぱりKはまだまだ伸びる選手だと思う。
 そして会長から私はKにも近々、日本ランカーとの試合が予定されていることを聞かされた。
 どうやら来年はKにとっても勝負の年となりそうである。
 第10試合がメインイベントで刺青野郎が全日本フェザー級10位に挑むフェザー級の10回戦である。
 何とかA級に昇格しての前回の8回戦で不甲斐無い試合をしてコミッションからA級の8回戦は無理だから6回戦でやるようにと勧告を受けていた。
 それを無視しての今回の試合は8回戦どころか10回戦というのである。
 試合の打ち上げの席で会長から聞いた話しで知ったのだが、当然のように今回もこの10回戦は無茶であると勧告を受けていたそうだ。
 しかしそれを強行したのだ。
 本気になった時の刺青野郎なら必ず何かをやってくれるはず――そんな魅力をこの男は確かに持っていた頃があるのだ。
 さらにフェザー級ランカーのSとは以前日本ランキング入りする前の全勝時代に6回戦で戦った経験がある。
 その戦いでは2ラウンドに喫したダウンのポイントが響いて後半に激しく追い上げたにもかかわらず2−0の判定で惜敗した。
 あの戦いでは、あと2ラウンドあれば逆転できたとか、初めから様子見をやらずに喧嘩ファイトに徹してたら勝てたとかの思いが残った。
 だからこの試合はランキング入りを賭けただけではなくリベンジ戦でもあったのだ。
 それからこの「誰でも日記」でも書いたが、フェザー級10位のパンチを卓越したディフェンス能力で翻弄しきり4回戦レベルの下手糞な選手に見せてしまったOジムのM選手が今うちのジムで練習している。
 Mが刺青野郎とスパーをした後でMに私は問うた。
 「○○(刺青野郎の名前)は□□(フェザー級10位の名前)と比べてどうだ?」
 「いや、パンチは○○君の方がありますね。いけると思いますよ。」
 とMは刺青野郎のパンチで腫れた瞼ながら礼儀正しい好青年の笑顔で答えてくれた。
 今度こそやってくれるはずだ――私達は祈るような思いで刺青野郎に賭けたのだ。
 ボブ・サップではないが、刺青野郎はボクシングをやろうとしだしてからダメになった。
 この試合が決まってから私の役割は刺青野郎に本来の喧嘩ファイトをやらせる気持ちに成らせる事であると考えた。
 言葉でしつこく刺青野郎をあおった。
 「おまえは、殺傷本能を失ってダメになったんや。保護観察をつけたままここに来た時、プロテスト合格して俺の手を腱鞘炎にしてしまうまでミットを打ちまくってた時、連れからのパンチを次々に受ける儀式受けてでも族を抜けてボクシングに賭けようとしとった時のおまえの目には殺傷本能っちゅうんがあったんや。おまえはキャラクター的に人に好かれる人間やろ。社会で色んな人に受け入れられることを知って女にももてて、そんでおまえはダメなボクサーになったんや。わかるか?今のままでは絶対に□□には勝てへんぞ。」
 しかし、そんなことはわかっているとばかりに刺青野郎はもくもくと走り出した。
 セミに出たKにひっぱられるように15キロのロードワークをやり、2度の自主キャンプを貼り徹底的に走り自分をいじめた。
 スパーリングにも精力的に取り組んだ。
 しかし不運なことにそのスパーリングで鼻を骨折した。
 医者ではスパーリング禁止令が出た。
 それでも鼻を保護できるヘッドギアを使いスパーをつづけた。
 ラウンド数を少しづつ増やして行き、3、4人を相手に10ラウンドのスパーができるところまで仕上げた。
 ロードワークではKに勝てるまでのスピードアップをしていた。
 そうやって、一度のダウンの経験もないフェザー級ランカーと10ラウンドをきっちり戦いきれる身体を作り上げた。
 そうして決戦の時を待った。
 今までの刺青野郎とは違うぞ、今度は本気やぞ、パワーアップした刺青野郎を見せるぞ。
 そんな思いの中で決戦のゴングは打ち鳴らされた。
 しかし日本ランカーは予想以上に強かった。
 刺青野郎がパワーアップしたのと同様にランカーとなったSもまたパワーアップしていたのだ。
 空気を切り裂くような鋭いジャブがビシビシ飛んで来る。
 かつては少し身体が開いてから外から右ストレートが飛んで来る癖があったのだが、今は内から一直線に右ストレートが伸びて来る。
 パンチのテンポも恐ろしく速く、少しでもすきがあるものならそこに必ずパンチが飛んで行く。
 ボクサーとしてのレベルの差は試合が始まって1分も経たないうちに明確になった。
 こんな筈じゃなかった、こんなに強い選手じゃなかった、Mとやった試合ではもっと下手糞な選手だったのに――そんな思いがドンドン膨らんで行く。
 なぜ、こんなにランカーのうまさが際立つのか?
 答えは明確だ。
 この二人は噛み合うのだ。
 刺青野郎にとって決して苦手なタイプではないのと同様にランカーにとっても刺青野郎は苦手なタイプではないのだ。
 それはパンチの殺し方がブロッキングというパンチの手ごたえだけは与えてしまう防御方しか刺青野郎がやらなかったからだ。
 あたるつもりで出したパンチが空をきるとパンチというのは、中々回転させにくいものだ。
 逆にブロックの上からであろうが何であろうが手ごたえさえあるのならパンチが回転するのだ。
 下の伊藤さんの日記にも書かれているようにチーフをお願いした若いトレーナーからは「相手の正面に立つな」と言う指示が飛んだ。
 客席に居た元ウェルター級ランカーのMからは「もっと頭を振れ」という指示が飛んだ。
 しかし刺青野郎はそういう指示は無視して真正面からブロッキングだけでパンチをしのぎつづけた。
 なぜならそれが刺青野郎にとっても一番攻撃に転じやすいディフェンスだからだ。
 私はと言えば「あご引いて」と「ガードあげて」を2回くらい言ったきりで技術的な指示は一切やらなかった。
 刺青野郎をのせる事だけを考えた。
 こいつにとって「のせる事」とは小気味良くボクシングをやらせる事ではなく強引にでも喧嘩ファイトに引きずり込むことだ。
 1ラウンド終了時のインターバルにはこう言った。
 「これは喧嘩やぞ。ボクシングとちゃうのやぞ。ボクシングやっとって勝てる相手とちゃうのやぞ。喧嘩ファイトに引きずり込め。」
 刺青野郎は会長に「ラスト30を言うて下さい」と言った。
 うちのジムでは試合中にラスト30を言う習慣がなくストップウォッチを持ち込まない。
 思いがけない選手からの希望にセコンド陣はアタフタした。
 結局、控えている元選手でトレーナーになって間もない者が自分の時計で計測することになった。 2ラウンドそいつがラスト30と言ったのだが声が小さかった。
 2ラウンド終了のインターバルで刺青野郎は「ラスト30が聞こえやん!」と強く言った。
 それ以降、計測者がラスト30と言った後、私は大きな声でラスト30を2度繰り返しつづけた。
 そのラスト30の声を合図に刺青野郎は猛然とラッシュし始めた。
 そしてそのラッシュではことごとくランカーより優位に立った。
 インターバルでは「ぶちのめせ!しばき倒せ!つぶせ!ボクシングやっとっては勝てやんぞ!これは魂のどつきやいにせんな勝てやんのやぞ!魂のどつきあいやったらおまえ絶対に負けやんやろ!」という技術的なことには一切触れない感情的なセリフを吐きまくった。
 間断なく速射砲のように繰り出されるランカーのコンビネーションブローを徹底的にブロッキングで耐え抜き、刺青野郎は期を見ては一気に喧嘩ファイトを仕掛けた。
 綺麗なコンビネーションブローを繰り出すランカーに比べて刺青野郎のそれは上体が前にのめりこんでのパンチで形の良いものとはとても言いかねた。
 しかし上体を使ってかわしたランカーの顔面をさらに前にのめりこんだ刺青野郎の次のパンチが襲いかかり除々にヒットして行くようになっていった。 
 そんな体勢から打つパンチでもリンゴをつぶす握力と発達した広背筋を持つこのバカのパンチの強烈さは、かつてトイレでけつを拭くのも痛くて困るくらいの腱鞘炎に悩まされた私のひじが一番わかっているのだ。
 ランカーが刺青野郎の左フックを右にウィービングしてよけるそのウィービングした後の顔面をさらに身体を開いた不恰好な体勢からの左フックの二発目が襲いクリーンヒットする。
 リング上の素晴らしいアスリートとしてのボクサーらしいコンビネーションを持つランカーと街の喧嘩屋のように崩れた体制からでもとにかく拳を相手にのめりこませようとしているチンピラの戦いは確かに矢吹ジョーとホセ・メンドーサとの戦いを彷彿させるものにも見えて来た。
 そして何度となく魂だけのチンピラの拳がアスリートのコンビネーションを凌駕する場面が増えていったのだ。
 7ラウンド目に刺青野郎から鼻血が出だした。
 骨折している鼻から出た鼻血はただの鼻血ではない。
 それは鼻から息ができなくなり著しくスタミナをロスする要因となるのだ。
 しかし走った距離はそれをも超えて戦う力を刺青野郎に与えつづけた。
 後で刺青野郎から口で何とか息してましたと聞かされた。
 ランカーも鼻血を流し双方流血しての激しい戦いは共に引くことのない10ラウンドの判定決着となった。
 私は「凄いものを見たな。もうどちらが勝ちでもいいな。」と思った直後、刺青野郎の「あああたのむ、たのむ、たのむで……」といううめきとも祈りともわからないような声を聞いて自分がまだアマちゃんであることを知らされた。
 そうだ、ここまで戦いきったからには勝たなくてはいけないのだ。
 判定の瞬間は下の伊藤さんの日記のとおりだ。
 
        ――つづく――



[54] 10月12日 投稿者:伊藤 投稿日:2003/10/13(Mon) 02:27  

 四日市オーストラリア館で行われる『三重のボクサーたち 2003』への招待状をラスタマンさんより頂戴し、観に行った。

 ここに来るのは二度目、昨年10月の興行以来だ。
 休憩時間ともなるとウンコ座りで煙草を吸う(元或いは現役の)ヤンキーの兄ちゃん姐ちゃんに混じって興行を見るのはじつに楽しい。年は違うが、彼らも間違ってもホワイトカラーなんかではない、末端労働者なのだ。

 目当てはラスタマン日記にもある「刺青野郎」×日本ランカーS戦だ・・・。
 2001年8月の津市での試合で「刺青野郎」ことIを観て以来、彼のファンキー、それに客の心を掴んでいくことの天性の巧さに唸った。
 それがファイターとしての華というものだ、とラスタマンさんが教えてくれた。

 彼の右腕に彫られた刺青が家庭裁判所での調停で妻に子供を取り上げられたとき、泣く泣く彫った子供の名前だ、と聞かされたことも(子供を離婚した妻に取り上げられた私には切なく)彼を好きになった理由だ。
 その「刺青野郎」がここ二年低迷していた。トウシロの私にもスタミナ切れだと察しが付いた。今年3月の息切れした試合では、これで奴ももう駄目か、と溜息を付いた。土俵に足がかかってる、今度負ければ終わりかも知れない、と思いながら、「毎日15k走っている」というラスタマンさんの言葉に賭け、私はオーストラリア館に出向いた。

 試合の詳細はボクシングの専門家ではない私には書けない。ラスタマンさんにお委ねしたい。ただ、刺青野郎の相手のSは不敵な面構えでじつにタフでスタミナがあり強かったこと。しかしそれを上回って刺青野郎はしぶとかったこと。この日の彼は、もはや過日の彼ではなかったことのみ、記しておきたい。
 「正面に立つな!」とラスタマンさんじゃないセコンドが幾度叫んでも、彼は正面に立ち続け、機会をうかがい踏み込み、連打した。ことに毎ラウンドのラスト30秒前は彼が仕掛け、Sとの壮絶な打ち合いになった。Sのシルバーのトランクスが流れた血に染まったのは6ラウンド目のことだった。試合は規定の10Rまで行った。Sに焦燥の色が見え始め、刺青は残る力のすべてをふりしぼり壮絶に打った。ファイナルゴングが鳴り響き、司会者がレフリーの採点を集め始めた。素人目にも縺れた試合だと思えた。レフリーは3名いる。まず最初のレフリーは刺青に軍配を上げた。次のレフリーはSの勝ち。そのとき刺青がキャンバスにひれ伏し祈った。司会者はひと間置いて、3人目のレフリーの採点がSより刺青を優勢としたことを告げた。会場から万雷の拍手が巻き起こった。レフリーが刺青野郎の腕を高々と掲げるや、ヤンキーたちがリングに駆け寄った。セコンドのラスタマンさんの目が赤くなっていた。それが、刺青が日本ランキングに入った瞬間だった・・・。

 2001年より3年・・・人生よりボクシングが面白いことを教えてくれたラスタマンさんと、一歩も引かなかった“鈴鹿のジョー“に心から感謝をしたい。


[53] 渋滞、ほか2本 投稿者:たま 投稿日:2003/10/10(Fri) 19:54  

近所のビデオ屋にエロビデオを返しに行った。
で、そのまま一時間近くエロコーナーに滞在。
女人の乳房やら性器やら眺め眺めあげ、2本を選び抜きレジへ向かう。
またエロビデオのみを2泊3日で借りるのかと思うと少々情けなくなってきたので、なんとなく邦画コーナーを物色し、萩原健一主演の「渋滞」(監督:黒土三男)を借りた。正確には、また借りた。この映画観るの3回目だと思う。
で、観た。
で、泣いた。

簡単にあらすじ言います。
ある家族が正月に車で実家に帰省する話。おわり。

さて、なぜ3回も借りるのか?
なんだろね〜観たくなるんだよね〜。
萩原健一とその父の関係が自分とモロにダブるんだよね〜。
仲は悪くないけどギクシャクしてて、話したいのに話す事が見当たらなかったり。お互い近づきたいのに近づけなかったり。
あと、実家の島の天気が、なんか微妙に曇ってて正月気分。
あ〜実家に帰ってみよっかな〜となる映画。
ビデオ屋で最後の1本に迷ったときなどにオススメ。

ショーケンつながりって事で掲示板に書こうとしたが日記みたいになったので日記に。

エロビデオは熟女を借りてみた。
出てきたのが30歳。
ええ?30でオバさんかよ!
花の命はケッコウ長いよ!
オバサン!頑張れ!
頑張れ!おばさん!
・・・何か熟女大好きっ子みたいになってきたので誤解されつつ終了。


[52] 祝・永作博美映画デビュー 投稿者:YAMA 投稿日:2003/09/29(Mon) 00:45  

黒沢清監督の「ドッペルゲンガー」で永作博美ようやく
映画デビュー。ながくかかったな。もったいないことするな。
久々に映画館に行くかな。
「連合赤軍」にも出て欲しいです。




[51] ウィークエンド・ラブ 第75回 投稿者:ラスタマン 投稿日:2003/09/22(Mon) 00:20  

 9月1日〜9月21日。

 8月30日にチャールズ・ブロンソンが死んだ。
 追悼でどの映画作品がテレビで放映されるのだろうと注目していたら何もないのにがっかりした。
 最も再会したい作品は「ウエスタン」(68年 セルジオ・レオーネ作品)と「雨の訪問者」(70年 ルネ・クレマン作品)だ。
 調べてみたら両方共DVD化されていない。
 この2作品に準じて好きな「さらば友よ」(68年)と「狼の挽歌」(70年)はDVD化されている。
 「雨の訪問者」は「さらば友よ」で原作、脚本をやりブロンソンを気に入ってしまったセバスチャン・ジャンブリゾがブロンソンの為に書いた脚本で作られた。
 「さらば友よ」ではグラスの水が溢れるまでにどれだけコインが入れられるかという技で賭けをしていたが「雨の訪問者」では胡桃をガラスドアにぶつけて「人を好きになっていなければ(ガラスじゃなく)胡桃が割れる」と言っていた。
 そういう遊び心を持ったセバスチャン・ジャンブリゾ世界のブロンソンは素晴らしかった。 
 心からのご冥福をお祈りします。

 9月15日。名古屋市公会堂でボクシング中日本新人王決勝戦を戦う。
 選手は沖縄出身でアマチュアでの経験を持つKiだ。
 Kiのボクシングはアマチュア出身者らしからぬもので飛び込んでショートでの連打で追い込んで行く姿はたたき上げのプロの技を思わせた。
 倒すタイミングも技も持っていたが、とにかく仕事もあるのだろうが練習にこない。
 たまに来るとミット打ちよりもスパーリングを好んでやり、そのスパーで良く練習している選手を相手に五分以上の内容のボクシングをしてみせる。
 しかしスタミナがないので早い目にスパーを切り上げる。
 「走ってスタミナをつけろ」と何度となく言ったが「はい」と返事だけはいいのだが、実際に走っている様子はない。
 それでもセンスだけは優れたものを持っているので西日本の代表になるのは難しいけれど中日本の新人王くらいは簡単に採ってしまうのじゃないかと期待していた。
 相手の最近上り調子のTジムのI選手はボクシングセンスに関してはたいしたことがないが、基本に忠実で4ラウンドフルに戦うことの出来る十分なスタミナを持ち合わせているように見えた。
 早い回に倒せればKi、判定までもつれ込んだらIの方が有利かなと思っていた。
 そして多分Kiが倒して勝つだろうくらいに思っていた。
 ところがKiのボクシングはよく研究されていた。
 飛び込んで打つショートパンチを殺す為にIは何と接近戦を仕掛けてきたのだ。
 ショートを得意とする選手には通常距離を取って戦う方法が得策なのだが、飛び込む勢いを殺すことと接近戦での押し合いによるスタミナに勝てるという体力をつけてきた相手はしつこくしつこく接近戦での押し合いをしながらのショートブローの応酬に賭けて来た。
 Kiは、始めは互角以上に効果的なショートを入れていたのだが、押し合いでの体力消耗を避け一気にステップバックをするとその瞬間にロングのパンチをあわされた。
 それは明らかにKi対策に取り組んできた技に見えた。
 スタミナをなくしたKiは一発の強打に賭けて挑んでいったが、そのパンチには“キレ”が失われており空しく空を切った。
 どう見てもKiの勝ちはない内容だったが判定はドローであった。
 そして新人王規約に基づく次のトーナメント戦に進出選手名は当然のように相手のI選手の名が告げられた。
 これで今年のうちのジムの新人王への挑戦は完全に終わってしまった。
 参戦する前は史上最強のメンバーで望む気持ちでいたが、結果は中部の新人王さえ取れない惨敗であった。
 さて、次は10月12日の興行だ。
 結局うちのジムの選手は8試合に出場するという。
 セコンドや裏方にとってはかつてない強行軍だ。
 カードの方も全て日本のジム所属選手同士の戦いとなって全敗もあり得る興行となって来た。
 メインでは「刺青野郎」がかつて2−0の僅差で敗れたTジムのSとのリベンジ戦が行われる。
 Sは日本ランカーになっているのでこの試合に「刺青野郎」が勝てば日本ランキング入りできるという大一番である。
 ここ数試合はひどい内容の試合ばかりつづいたのだが、「刺青野郎」は一度のダウンの経験もない日本ランカーとの戦いに備えて一日15キロのロードワークに取り組んでいる。
 今度こそ熱い戦いを見せてくれるものと信じている。

 見た映画。

 「新・影の軍団 序章」(02年 シネマパラダイス)

 「ロードキラー」(01年 米)

「ゲッタウェイ」(73年 米)

 「青い春」(01年 ゼアリズ)

 「ラヂオの時間」(97年 東宝)

 「群青の夜の羽毛布」(02年 ギャガ・コミュニケーションズ)

 「はなればなれに」(64年 仏)

 「ウイークエンド」(67年 仏)

「ブラッドシンプル ザ・スリラー」(99年  米)

「スクービー・ドゥー」(02年 米)

 「シュガー・ヒル」(93年 米)

 「プリティ・プリンセス」(01年 米)

「夢なら醒めて……」(02年 日本スカイウェイ)

 「小説家を見つけたら」(00年 米)
 文章を書く才能に恵まれたブロンクスの黒人少年と 一作だけを発表して伝説の天才作家と呼ばれている作家との交流を描いた人間ドラマ。
 陽のあたらない天才少年の才能を扱ったという点において 同じガス・ヴァン・サント監督の「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」によく似ている。
 高い評価を受けた前作の後に同じような題材を扱うってのは二番煎じだなと思って見た。
 さらに劣等意識の強い者から見れば、こういう優等意識を扱ったドラマは嫌味ったらしいもんでもある。
 しかしモノを書くということもテーマにされていて、ここでのたかが日記ではあるがそれなりに苦労して書いている立場の者としては興味深くもあった。
 デビュー作を発表したきり隠遁生活というより引き篭りになってしまったの伝説的な天才作家が、貧しく文才のある黒人少年に言うセリフの一つ一つがこちらの心を捉えた。
 「自分のために書く文章は 人に見せるための文章に優る」
 「第1稿は――ハートで書く。 リライトには頭を使う。」
 「文章を書く時は――考えずに――書くこと」
 「苦い挫折を経験した教師は――優れているか でなければ――非常に危険だ」
 「文章のルールは知ってても何も書けない人間がいる」
 こうしたセリフだけは魅力あったが後のドラマは不愉快なものだった。
 クライマックスの作文コンテストで「苦い挫折を経験し」ブロンクスの黒人少年が文才を持つということが理解できない「教師」が、伝説の作家により皆の前でつるし上げにあうような状態になる。
 ここでの教訓は「創った人間で偏見を持たず、作品のみで判断せよ」という言葉にすれば至極まっとうなことなのだが、「実際やろうとするとこれは難しいぜ」と思えることなのだ。
 これまで、つまらない映画をどれほど、「これはレネの、アントニオーニの、ゴダールの、タルコフスキーの作品なのだから」と自分に言い聞かせてきて退屈な作品を我慢して見てきたことか……。
 人は同じ意見でも「あいつが言ったのだから」とかの理由で判断したりもするのだ。
 そういう意味でこの“文才の黒人少年”と“伝説の作家”と“挫折した教師”の3人の中で誰に自分が一番近いのかと考えると自分の偏見を書くことを大事にしている私はやっぱり悪役の“挫折した教師”に近いと考えるしかなさそうなのだ。
 そして正直に言ってしまうと「偏見を持って人を見てはいけない」という表現をする輩こそが自らの偏見を見つめ分析することのできない“奇麗事野郎”だという“偏見”も持っていたりするのだ。

 「AIKI」(02年 日活)

 「阿弥陀堂だより」(02年 東宝=アスミック・エース)

「アナスタシア」(97年 米)

 「ノートルダムの鐘」(96年 米)

 「パルコ フィクション」(02年 パルコ=アーティストフィルム)

 「サベイランス −監視−」(01年 米)

「クロコダイルの涙」(98年 英)

 「おぎゃあ。」(02年 ジーピー・ミュージアム=アースドリームカンパニー)

 「凶気の桜」(02年 東映)
 就職して数ヶ月した頃、中学時代の友人と電車の中で偶然出会い話し込んだ。
 そいつも高卒で自衛隊に就職していた。
 そいつは、毎日鉄砲を担いで走っていること、走っている途中でバタバタと倒れて行く人間がいること、倒れた連中を無視して走りつづけているというきつい生活のことを話し、嘆き、やめたいと言い、私の職業のことを羨ましがった。
 当時、私の職場の労働組合は総評傘下に属し、組合員である私達は社会党が煽動する動員に参加し、選挙となると社会党の応援の為に走りまわらされたりしていた。
 私が動員となったひとつに「反基地、反自衛隊、反ファッショ○○・○○統一行動」というのがあった。
 自衛隊のフェンスの回りをデモ行進をして歩いた。
 革マル派は機動隊の盾に飛び蹴りをしたり、ジグザグデモをやったりしていた。
 シュプレヒコールを繰り返しただ行進するだけのデモをしながら私は電車の中で話した中学時代の友人のことを考えた。
 「このフェンスの向こう側にあいつもいるんだな」小中学校と同じ学校を通ったそいつは私よりも成績が悪くいじめられっ子だった。
 そんなに小難しいイデオロギーなんて持っていない私たちがひとりはフェンスの中で仲間が倒れても無視して鉄砲担いで走りつづけるような仕事をし、ひとりは仕事は暇で労働運動だけは熱心な職場で友人の職業を否定するような運動をやっているということに言いようのない矛盾と後ろめたさを感じた。
 映画や文学の中での左翼運動家は迫害され傷だらけだったが、現実には逆さまじゃないかという認識が自分の中で広がっていった。
 少なくとも大衆運動としての左翼運動はセンコーとかコームインとか結構恵まれた職業を持つ連中によって支えられていることを苦々しく認識した。
 当時、役所に通いながら夜は夜間の短大で学んでいた。
 2年目のゼミに私は、真面目にやるという理由で人気のなかった刑法のゼミを選択した。
 そのゼミを選択した人間は2人で助教授の部屋で3人で雑談のようなゼミの授業を受講した。
 ある時、助教授と当時出版されたばかりの沢木耕太郎の「テロルの決算」の話になった。
 それは昭和35年、日比谷公会堂の演壇で演説中の当時の社会党の委員長浅沼稲次郎(私の職場の労働組合の書記局にはこの浅沼稲次郎の色紙が飾られていた)が赤尾敏率いる右翼団体、大日本愛国党の元党員の17歳の少年山口二矢に短刀で暗殺されたという事件の主役の二人を調べ取材し書き上げた沢木の最初の長編であった。
 読んでいた私は、その本の感想について「ひたすら山口二矢に共感して読んだ」と言った。
 京都大学時代、京一会館でよく映画を見ていたというゼミの助教授はそれを聞いて「それは危険だなあ」と言った。
 しかし、それは自分の育ちの悪さを呪い、誤ってコームインになってしまい、「何かでかいことをやって死ぬ」ということにロマンチックな羨望を感じてしまうバカの嘘偽りのない本音の心情だった。
 「日教組主導による戦後民主主義教育の元で教育を受けてきた者にとっては左翼こそが保守であり、右翼こそが革新なんですよ」などと利いた風な口をきいて反論した記憶がある。
 右とか左とかは良くわからない。
 ただ捨て身でそれに賭けようとしている人間に関心がある。
 「凶器の桜」にはとても期待していた。
 山口二矢に再会できるかもしれないと思ったのだ。
窪塚洋介 演ずる若きナショナリスト、ネオ・トージョーのリーダー格の役名はその名も山口進。
 あきらかに右翼の世界では神格化された存在となっている山口二矢を意識しての役名だろう。
 しかし「凶器の桜」に山口二矢はいなかった。
 若きナショナリストのネオ・トージョーの3人はどんな環境でどうやってナショナリストとして覚醒していったのかは、描かれない。
 初めからナショナリストとして存在している。
 そしてその3人が暴力団すれすれの政治結社の大人たちに利用され翻弄され始末されてしまうだけの話しだった。
 結局「若い奴がいきがっても大人に利用されるだけだ」という教訓的なものになっただけだった。
 これじゃあ元気でんぜえ〜〜〜。

 「壬生義士伝」(02年 松竹)
 東京でがんばっている職場の同期生が「泣ける」と言って絶賛していた作品だ。
 功名心もあり苦労もしている同期生が感動する作品なのだという先入観を持って見ることとなった。
 そして私も鳥羽伏見の戦で後退をよぎなくされた新撰組の中で、只ひとり敵軍の前に立ちはだかり、口上を述べて鉄砲隊が射撃する方向に向かって突っかかっていく吉村貫一郎(中井貴一)の姿と 大野次郎右衛門(三宅裕司)が差し入れたおにぎりも食べず、刀も渡された切れるものではなく、戦の後で刃こぼれもあるような切れない自分の刀で切腹したとわかるシーンには涙が出た。
 しかし、これはやはり“功名”できた人間の死ではあったとは思う。
 吉村貫一郎の、結局は義に殉じて死んでいったことはそれを見た人間や知った人間に影響を与え大野次郎右衛門や実子も義に殉じようとして戦で死ぬ。
 また大野の息子も吉村の写真を飾っているし、その写真を見たニヒリストの斎藤も感慨深く吉村を思い返す。
 みんなが吉村の死に様に感動したんだぞということが歌い上げられる。
 これだけ多くの人々の心を捉えた死であるということがしつこく説明されると、へそ曲がりの私には、「ならば私まで泣く必要ないじゃんか」と思えてしまった。
 また“義に殉ずる”ということの“義”が何であるかがわからないくらい価値感が多様化している現在において「何を“義”としたか?」が魅力的に描かれず、とにかく“義に殉じた”ことを感動的なこととしていることは、私の短大時代の助教授のセリフではないが「それは危険だなあ」と呟くしかないことだと思えるのだ。



[50] ウィークエンド・ラブ 第74回−2 投稿者:ラスタマン 投稿日:2003/09/01(Mon) 02:30  

 「Soundtrack」(01年 ギャガ・コミュニケーションズ Kシネマグループ)
 ロックバンド「LUNA SEA」のメンバーだったSUGIZOが、てめえのナルキッソス趣味を嫌がらずに演出してくれるとりまき人間を集めて作った死にそうなくらいにくだらない作品。
 美少年愛的ゴシックな映像に「傷つき苦悩するぼくを見て!ヴァイオリンを弾けるぼくを見て!」という内容。
 柴咲コウが出演しているからと思って見てみたのだが……仕事選べよ、柴咲コウ!

「Zero WOMAN 危ない遊戯(ゲーム)」(98年 OV)
 OVシリーズは毎回女優のヌードを売り物にしてて、それはまあそれでいいのだけど、このシリーズの最初の映画化作品「O課の女 赤い手錠(ワッパ)」(74年)という野田幸男の傑作への対抗心も何もないような出来のものばかりで面白くない。
 同じ原作者篠原とおるの「女囚さそり」シリーズもやはり最初の伊藤俊也、梶芽衣子コンビのものが圧倒的に面白いのだが、その後に作られたものでも「女囚さそり 殺人予告」(91年)という池田敏春、岡本夏生で最初のシリーズへの見事なオマージュとなる佳作があった。
 「Zero WOMAN」シリーズも女優の裸があればそれほどドラマに注文をつけられることはなかったシリーズだったと思えるのだが、それゆえに強烈な作家性を打ち出したドラマがもっとあってもいいはずだと思えるのだが……。

 「恋する40days」(02年 米 未公開)
 やり過ぎでおかしくなっている主人公が40日間の女断ちをやり初めると、その噂で女達が言い寄って来るという艶笑コメディ。
 インターネット関連の会社が舞台となっているのだが、主人公の誓いを破らせてようと色仕掛けしてくるアホ女がうじゃうじゃいて、とてもまともな企業とは思えない。
 スーフリの連中の思考回路に近い人間が作っているのかもしれない。

 「気まぐれな狂気」(97年 米)
 何だかノリの悪いバイオレンス・アクションだった。

 「みんなのいえ」(01年 東宝)
“家を建てる”ことのすったもんだをコミカルに描くといういかにもテレビ畑出身の三谷幸喜が着眼しそうな作品である。
 ずっと以前なら、「若くして家を建てれるという人生の成功者のドラマなんぞクソ食らえだ」と言っていたところだろうが、まあこちらも四苦八苦して7年前に30年ローンで家を建てた手前言い辛くなってしまった。
 就職も結婚も大変だが、確かに家建てるのは大変である。
 何度も苦笑しながら当時のことを思い出した。
 たんすを置くところにコンセントはあるは、倉庫代わりに使っていた空家に住み着いた子猫を捨てるわけにもいかず仕方なく飼っていたら新宅のあちこちで爪とぎされて襖のすそが直ぐに破れたりと苦労の連続だったのだけど、どこでも家作りには苦労しているのだと思うとなんとなくホッとしてしまった。

 「地獄の黙示録・特別完全版」(01年 米)
 「地獄の黙示録」が特別完全版として公開されると聞いてまず思ったことは「最初の公開作で描き足りていない事を描く必要があったのだろう」ということだ。
 描き足りていないこととは、「超エリート軍人であったカーツ大佐が何故ジャングルの奥地カンボジア領で闇の王国を築き虐殺やらを行う危険人物になってしまったのか?」「ウィラード大尉はそれをどう受け止めて、どう判断し、密命に従って暗殺したのか?」ということに尽きると思う。
 圧倒的に魅力的な前半の映像の力と共にそのことは確かに命題としてウィラードの口から何度となく語られていたはずなのに一向に明らかにされないまま訳のわからんエンディングにされてしまって肩透かしをくらったような思いをしていた観客は当時たくさんいたはずなのだ。
 その命題に答えてもらえるだろうと思ってこの「特別完全版」と対座した。
 新たに追加された主なものはプレイメイトのエピソードとフランス人入植者の農園でのエピソードである。
 特にフランス人入植者の方のエピソードではベトナムに関わるアメリカの姿勢をたしなめられるようなことも描かれているが、それがあながち反戦的な思想を強化されたことになっているとは思えないのだ。
 今日のアフガンへのアメリカの姿勢を予見していたとかの解釈をするのは自由だが、何しろこの「地獄の黙示録」の脚本家はあの鷹派のジョン・ミリアスなのだ。
 戦場の狂気は描いたかもしれないが、そこに反戦思想を込めたとはどうしても思えない。
 いかれた先輩(フランス)からいかれた説教されたような程度のものだろう
 だからどちらも戦場での狂気を描くことをさらに強調することにはなっているだけなのだ。
 結局、私が描き足りていないと感じていたものについては何も埋めてくれていなかったのだ。
 どれほどベトナム戦争の狂気を強調してもカーツがああなったことの説明に成り得ているとは思えないのだ。
 ベトナム戦争でのカーツ自身の体験を描く必要があったと思う。
 カーツが語る「アメリカ人が傷ついたベトナムの子供を救おうと注射をしたら、見ていた子供の母親がその子供の腕を切り落とした」という体験やらをもっともっと映像で見せるべきなのだ。
 その上でカーツがああなってしまったことを観客に納得させる必要があったと思うのだ。
 理屈を言えばそうなるのだが、理屈通りにやっていたらこの作品は傑作になったかと言うとそれも怪しい。
 もう後半は戦争映画とかベトナムとかではなく“特別な人間=カーツ”のドラマになっていて前半のベトナムに乗せられてしまった観客の私達は後半は退屈するしかなかったという気がするしかないのだ。
 横着な観客である私は後半、またも退屈してしまってラスト、ウィラードはカーツに成り代わりたいと思ったのかを考える気力もなくしてしまった。
 前作も今作も壮大な失敗作であることに変わりはない。
 しかし、未だ見ぬ『連合赤軍』以前で、撮影中からこれほど“大人の男”騒ぎさせてくれた映画ってやっぱりこの映画であったこと
は確かではある。

 「13ゴースト」(01年 米)
お化け屋敷もので、その屋敷に取り付いたゴースト達12人が何故そんなゴーストになったのかの紹介がDVDの特典映像にはついている。
 これが、皆哀しくて切なくていいのだ。
 本編よりもこれの方に魅了された。

 「ハスラー」(61年 米)
 大好きなポール・ニューマンの作品の中でもこの作品が一番お気に入りである。
 オールタイムのベストテンを選んだ時にも入れたくらい好きな作品だ。
 今回、久々に見直して女との関わり方が「ガルシアの首」とそっくりなのに驚いた。
 また、時間がある時にでもじっくり感想を書こう。

 「トキワ荘の青春」(96年 カルチャア・パブリッシャーズ)
 前回、市川準監督作品のことを<優しく柔らかい視線で捉えられた人々を見ているとホッとする。
 あまりこのスタイルでやりつづけると倉本聡作品のように臭くなってくるのじゃないだろうかと危惧するのだが>と書いたが、その危惧がこの作品には該当してしまったと思う。
手塚治虫、安孫子素雄、藤本弘、石森章太郎、赤塚不二夫やら戦後マンガ界のビッグネームが青春時代を過ごした実在のアパート“トキワ荘”に住んだ漫画家たちを寺田ヒロオ(本木雅弘)を中心に描いて行く。
 マンガ好きとしては、描かれるエピソード全てが興味深くて楽しいのだが、それで映画が面白いかといえば残念ながらそうではない。
 市川準の作品に登場する人物は囁くような小さな声で話すことで内省的に感じさせる。
 しかし、それがこの作品では複数以上の人物に使われていて作り手の趣味的センスとしてくどくなって感じられた。
 大好きな漫画家先生達が、皆、感傷に浸ることばかりうまくなっちまった人物に見えてしまった。
 感傷はわき目もふれずに只ひたすら走りつづけて来た奴が、本当に疲れきった時に味わうほんの一瞬のものだけが美しいのだ。
 だから感傷を描くならそれ以前のひたむきに走っている姿を描いておかないとダメなのだろうと思う。
 この作品には残念ながらそれがない。

「タイガーランド」(00年 米)
 我らがロバート・アルドリッチには、一片の妥協もない軍隊批判映画「攻撃」(56年)という傑作がある。
 アメリカの軍隊はかなりの反戦映画でも撮影協力に応じるが、このアルドリッチの「攻撃」の撮影にはさしもの米軍も協力を拒否したという。
 我らがクリント・イーストウッドでさえ軍隊を賛美した「ハート・ブレイクリッジ」なんてクソ映画を作っているアメリカ社会の中で、真正面から軍隊を批判する映画作るのは結構勇気のいることなのかもしれない。
 ジョエル・シューマカーという職人監督によるこの「タイガーランド」もなかなかの軍隊批判映画だ。
 「地獄の黙示録」「ディア・ハンター」「フルメタル・ジャケット」「プラトーン」やらの大作のようにベトナムの戦場は出てこないが、戦場に送りこまれる前の若者たちの不安な心理や葛藤を丁寧に描き出しており小さな佳作になっていると思った。
 ただ、入隊してひたすら戦争の意義とか軍の非人間性を的確に指摘し反抗して行く主人公コリン・ファレルがヒロイックに成り過ぎていると思った。
 彼がここまで徹底的に反軍隊的に生きようと決心した根っこをも描いてほしかった。
 兵士としての能力に優れていながらも軍隊の非人間性を徹底的にあげつらうインテリでシゴキにも挫けない鉄の意志を持ち……というのでは、普段、気難しい上司やら横暴な労働組合役員には、あたりさわりのない付き合いしかできない私には眩しすぎた。
 ジョエル・シューマカーを、除隊し作家になった友人である語り手の前を通過していった「シェーン」や「風の又三郎」にしてしまったことが、軍隊批判映画としての力を弱めてしまっていると思った。   いい作品なだけに、そのことが惜しまれる。
 
 「ロスト・ソウルズ」(00年 米)
ウイノナ・ライダーは悪魔に取り憑かれ信仰に救われたという過去を持っている。
 今もニューヨークの神学校で教職をしながら悪魔払いの儀式の手助けをやったりしている。
 ある悪魔払いの儀式時に悪魔復活らしき予言の暗号を受け取る。
 解読し、悪魔が宿ろうとしている人物に近づき、悪魔復活を阻止するために活躍するというオカルトドラマ。
 「オーメン」のようなスプラッター的なショッキングシーンが少なく超常現象も比較的抑えめなので、そういうのが苦手な私にもじっくり見ることができた。
 しかし、悪魔復活を阻止しようとしている人間が、ウイノナ・ライダーという役柄だけではなく情緒不安定な女優さんがやっているから危なかしくってしょうがないのだ。
 彼女の妄想なのか何なのか訳わからなくした方のが怖かった。
 神とか悪魔とかが実在するということを前提に作られていると、キリスト教的信仰心のない人間には「バカに説教されている」ようにしか感じられないのだ。
 悪魔より「悪魔の仕業だ」「神のみ業だ」と信仰に基づく理屈で人間を裁き出す宗教的な優位者の方が余程怖いのだ。

 「ハロウィンH20」(98年 米)
 見るんじゃなかった。



[49] ウィークエンド・ラブ 第74回−1 投稿者:ラスタマン 投稿日:2003/09/01(Mon) 02:29  

 8月19日〜8月31日。

 28日。宅間守の死刑判決のニュース報道を見て考え込む。 
 小学2年生の女子児童7人、男子児童1人を殺害し、多くの児童や教諭にけがをさせた犯罪者への死刑判決だ。
 判決を言おうとする裁判長の言葉をさえぎり、「最後にちょっと言わせてえな」「どうせ死刑になるんやったら、言わせてくれ。たったメモ3枚や」「今までおとなしくしとったんや。それぐらいあってもいいやないか」と言い、退廷を命じられ両脇を抱えられ連れ出される途中にも遺族をののしったと言う。
 「すべてが完了し、僕の孤独をやわらげるために、僕はただ処刑される日に大勢の見物人がいて、僕を憎悪の叫びで迎えてくれることを望めばよい。」と最後に書かれたカミュの「異邦人」を思い浮かべた。
 一番の興味は何故こんな犯罪者が生まれてしまったのかということだ。
 宅間が犯した犯罪の動機について「3番目の妻への恨みが社会全体に対する恨みに転化し、後悔の連続であった自分の苦しい思いを多くの人々にわからせてやろう、ありふれた事件ではなく大量殺人をやろう、小学生なら逃げ足も遅く大勢を殺せる、名門の小学校を襲った方が反響が大きい、それが父親や3番目の妻に対する復讐にもなる」と考えたことだと新聞に書かれていた。
 なんだかそれを読んでドキリとした。
 私自身「犯罪者になってもしかたないような環境で育てられてきた」という思いの中で生きていた時代があった。
 私が犯罪者になることで辛い思いやらこんな風にしてしまった身内に反省を求めたい、という気分に若い頃は何度となくなった。
 その思いは家庭とか幸せな時間を持つことで薄れては来ていたが、どこかにその薄れていくことこそが堕落でしかないという思いが呪縛のようにとりついていたりもする。
 プロボクシングの世界に10年以上関わりつづけられているモチベーションもそこから来ている。
 映画を見る時くらい犯罪者に肩入れして見ると決めてから楽になった。
 かつてこのサイトで選んだ邦画のオールタイムでのベストテンに入れた作品、「太陽を盗んだ男」「狂い咲きサンダーロード」「女囚さそり けもの部屋」「TATOO〔刺青〕あり」「ガキ帝国」「新幹線大爆破」「仁義の墓場」「サード」と言った作品はどれも犯罪者や不良少年が描かれたものばかりだ。
 私の中の心の闇は映画やボクシングによって救われたと思っている。
 宅間守の心の闇は私のそれよりもずっと暗く深い。
 新聞やテレビのニュースは宅間守もいる社会のことを考える。
 宅間の闇を考えること――宅間自身と言葉を交わすことは二の次だ。
 それをやるのは文学やら映画の役割なのかもしれない。
 私に子供が出来た時、決心したことがある。
 子供がいつか学校に行くようになった時、登校拒否をしてひきこもり始めたら、私もまた仕事を休んで子供と一緒に例えばテレビゲームでもやりつづけようということだ。
 私自身が登校拒否やひきこもりの経験を持ったことから来る発想だ。
 そこから何が生まれるのかはわからないし、何も生まれないのかもしれない。
 しかし説教でも説得でも励ましでもなく共にテレビゲームをやることこそが大事だとしか思えないのだ。
 職場で宅間守のことが話題になった。
 「あんな奴は死刑で当然だ」と誰かが言った。
 「死刑でもまだ足りやんくらいや」と別の誰かが言った。
 社会を考えれば妥当な意見だと思う。
 しかしどうしようもない苛立ちが私には残った。
 多分その苛立ちは宅間を全く自分とは違う人間として語られていることから来る苛立ちなのかもしれないと考えた。
 かつてゴジは三菱銀行梅川事件があった時、雑誌の対談で事件のことを社会的な角度から語ることを許さず、参加していた小説家や劇作家に「自分の内側に梅川的要素は全くないと言い切れるのか」と詰め寄った。
 その対談を読んだ時、事件を社会的立場から扱おうとするマスコミと自分が抱えている闇との間で激しい苛立ちを感じていた私は驚きと共に自分の苛立ちを解明してくれる唯一の男に出会ったような興奮を覚えた。
 「青春の殺人者」はそうやって生まれた傑作だと思った。
 「私の最後の意見を言います。死ぬことは、全くびびっていません」
 「生命をもって償いたい」は「新聞で読んだ言葉を引用しただけ」
 「冥福を祈る気持ちにはなっていない」
 「早く死刑判決を出してほしい。だらだらと生かされるのは嫌だ」
 (父親を)「寝ている間に包丁でさしたろかと思った」
 「世の中、全員が敵だった」
 「生きていく魅力がこの世の中にない。人生の幕引きに道連れにするつもりだった」
 (犯行当時の状況は)「答えても刑罰は一緒やから答えへん」「絞首台に上るまで秘密や。そのとき、刑務官に話すわい」
 そう言った犯罪者を前にして何が可能なのか?
 私には「自分の内側に宅間守的要素は全くないと言い切れるのか」と考えることからしか始まらない何かがあると思えてしかたないのだ。
 
 見た映画の感想。

 「ガルシアの首」(74年 米) 
 朝から毛じらみをつぶしているような男が主人公である。
 死んだ男の墓を荒らして男の首を切り落として売ろうとする男の物語である。
 薄汚い映画である。
 そして、かつてこのサイトで洋画のオールタイムのベストテンを書いた時に私がベストワンに選んだ作品である。
 これが私の映画である。
 これこそが私の好きな映画である。
 メキシコの組織の大富豪であるボスの娘が妊娠する。
 怒ったボスは娘を痛めつけ子供の父親の名を吐かせる。
 その男アルフレッド・ガルシアの首に100万ドルの懸賞金がかけられる。
 その懸賞金を目当てに多くのヤクザ者やチンピラどもが動き出す。
 場末の酒場のピアノ弾きベニー(ウォーレン・オーツ)の元にも賞金稼ぎの男たちがガルシアの情報を求めてやってくる。
 この男ベニーはなんだかくたびれきった男だ。
 金を置いていってくれる観光客にはヘラヘラと愛想笑いする。
 媚びて見せることがあたりまえになっているような負け犬野郎だ。
 賞金稼ぎの男の元に酒場の娼婦が近づき膝に手をおいた瞬間に男はひじ打ちで娼婦を失神させてしまう。
 ベニーは、そんな嫌な客が目の前でやったことにも見て見ないふりをする。
 それくらい負け犬であることに慣れきっている男なのだ。
 ガルシアという男を知っていたベニーは、ガルシアが自分の女と一緒にいたことを知り、女にガルシアの居所を聞き出す。
 ガルシアは既に死んでいた。
 そのガルシアの首を求めてベニーと女の旅が始まる。
 同じペキンパーの「ゲッタウェイ」でマックィーンは自分の女アリ・マックグローが自分の為であっても組織のボスと寝たということにこだわりつづける。
 マックィーンは車を止めて女を殴ったりもしていた。
 「ガルシアの首」のベニーには、もはやそんな女を糾弾するに値する自分すらも失われている。
 しかしあることを断念した男だから出て来る優しさというものがベニーにはある。
 だからこそ女と本当に楽しそうに車で歌なんか歌いながらガルシアの首を求める旅をするのだ。
 「俺はもう多くのことを望めるような立派な人間なんかじゃない。せめてまとまった銭を手に入れて女と静かに暮らして行きたい……それだけだ。」そんな負け犬ベニーの呟きが聞こえてくる。
 そうだこの映画はとことん負けつづけた男が再生を試みる作品なのだ。
 旅の途中の道端の樹の下での会話で女はベニーの求婚と共に賞金の懸かっているガルシアの首をとりに行くことを知る。
 女もいいのだ(演じているのはイゼラ・ヴェガ)。自分が安物の人間であることを知り尽くしているし、ベニーのそういう負け犬の優しさを愛そうとしている。
 バイクの二人組に襲われた時も「自分が抱かれることで助かるのなら」とバイクの男に身体を許そうとする。
 堪り兼ねたベニーがバイクの男を撃ち殺した後辺りから女はベニーにガルシアの首をとりに行くことに止めにかかる。
 女をなだめながらモーテルに着くがメキシコ女はダメだとフロントで断られるが、脅して最高の部屋に泊まる。
 部屋で先にシャワーを浴びている女のシャワー室のカーテンを開けると女は座りこんでまるで滝にうたれるようにシャワーを浴びている。
 ベニーからの求婚と、ガルシアの首という旅の目的、襲ってきたバイクの男達とその射殺、フロントの人種差別……立て続けにおこった激しい出来事で恐らく女はシャワーを浴びながら泣いていたのだろう。
 その女を「愛している」と言って抱き寄せる。
 恋愛そのものを売りとした恋愛映画にこんな素晴らしいラブシーンは出来はしない。
 こういううらぶれたアクション映画だからこそできた最高に哀切極まりないラブシーンなのだ。
 ガルシアの墓を掘りおこしその首を切ろうという時に、二人をずっと追ってきていた連中にベニーは投打され気絶する。
 気付いた時にはガルシアの首は持ち去られ、女は隣で死んでいた。
 人生最後のチャンスに賭けたことで女を死なせてしまった。
 そういうベニーの自責の念。
 銃撃戦の果てに取り返したガルシアの首。
 その首を車に乗せて運んで行く。
 女は殺されいなく、代わりに物言わぬ死んだ男の首。
 ガルシアの首にたかる蝿。
 その首に話し掛けるベニー。
 「おまえもいっぱいやるか?」 
 そうだ、この男は共に同じ女を愛した相棒なのかもしれない。
 生きることのやりきれないような寂しさが見る者の心に突き刺さる。
 こんなことになっちまった“裏”は何なんだ、そいつを見咎めてやる。
 情報を集めに来て、娼婦を気絶させた男達も銃撃戦の果てに射殺する。
 さらに中間で利益をかすめとろうする連中も撃ち殺し実質的な依頼人メキシコの大富豪の元へ首を届ける。
 「貴様のせいで16人の人間が死んだ。こいつとお前と俺のせいで――中の1人は俺の大事な女だったんだ。」
 そして始まる銃撃戦の果てにベニーは蜂の巣にされて映画は終わる。
 「ガルシアの首」は75年の「キネ旬」のベストテンでベルイマンの「冬の光」と並んで12位となっている。
 「ガルシアの首」を川本三郎と佐藤忠男の二人がベストワンに選んだ。
 川本三郎は特集号で素晴らしい評論を書いてくれた。
 当時NHKのFM放送で年末に一年の映画を回顧するような番組があった。
 その番組で佐藤忠男は飯島正や双葉十三郎や登川直樹といった映画評論界の知的権威が集まったような番組に出ていた。
 皆でベストテンを発表した後、特に言いたい作品として佐藤は「ガルシアの首」を挙げ「この中年男の何かをしなければというような心情がたまらなかった」と言っていた。
 そういう知的なお歴々の中で吐かれた「たまらなかった」という感情的な言葉が忘れられない。
 ここ数年でも深作欣二が雑誌「映画秘宝」の中で好きな映画として「『ワイルド・バンチ』よりも『ガルシアの首』」と言っていたし、我らがゴジも雑誌「PLAYBOY」の中で「生理的に一番合うのはペキンパーだな。『ワイルドバンチ』『ガルシアの首』……最低の男達がヤケのように突っ走るのが気分良かった。」と書いてくれている。
 こんな流れの中で今回この映画は予約特典にはオリジナルポスター図のポストカードも付きDVDには珍しいライナーノーツまで付いた素敵なDVDになったのだと思う。
 自分だけの映画にしておきたい気分も強いファン心理としてはあまり日の目を見てしまうのもなんだか寂しい気もする。
 私はこの映画に何度も救われて来た。
 自分がダメになってしまいそうな時、いつもこの映画のことを考えた。
 それは、この映画には最低な男の最後の再生への祈りが込められているからだ。 
 大好きなパンクロックバンド「ザ・ブルー・ハーツ」のファースト・アルバムに入っている大好きな曲に『終わらない歌』というのがある。
 ♪世の中に冷たくされて  1人ボッチで泣いた夜 
  もうだめだと思うことは  今まで何度でもあった
  真実(ホント)の瞬間はいつも  死ぬ程こわいものだから
  逃げだしたくなったことは  今まで何度でもあった 
  終わらない歌を歌おう  クソッタレの世界のため 
  終わらない歌を歌おう  全てのクズ共のために 
  終わらない歌を歌おう  1人ボッチで泣いた夜 
  終わらない歌を歌おう  ♂♀∞§あつかいされた日々♪
 「ガルシアの首」は私の「終わらない歌」だ。
 
 「おもちゃ」(99年 東映)
 深作欣二の数少ない見ていない作品で71年の「トラ・トラ・トラ!」以降で見ていなかったのはこれと「バトル・ロワイヤル2」だけだ。
 舞妓の世界を描いて前半の富司純子や南果歩や喜多嶋舞が活躍するエピソードの辺りはいつもの深作で面白いのだが、主演の宮本真希が水揚げされるクライマックスになるとサッパリダメな作品となっている。
 やっぱり深作は騒がしいアクションにこそ本領が発揮でき、静かなドラマとなると全くダメだということがよくわかって面白い。
 そういう点では市川準と真逆の映画作家と言えるのかもしれない。

「日本黒社会 LEY LINES」(99年 大映)
中国人と日本人の間にうまれたハーフというだけで劣等意識を背負わされた主人公北村一輝が、故郷を捨て東京に出て、あくどく銭を稼ぎ、組織と対立してと、とことん世の中とか良識とかいうものに反抗しまくって日本を飛び出すまでを描いている。
 あえて雑な妖しいモザイクやら放送禁止用語をガンガン使って、ザラッとした手触りの映画作りに成功している。
 まだまだ見ていない三池作品がいっぱいあるけれど、見た中ではこの作品が一番好きかもしれない。

 「イージー・ライダー」(69年 米)
 70年前後の世界中で若者達が反乱をおこした時代を象徴する映画だ。
 長髪で、ドラッグ売買やって、カスタムバイクに乗って、女抱いて、自由を謳歌した果てに保守的な南部の中年親父に撃ち殺されるまでの若者のドラマ。
 しかし、チョッパーのバイクも、自由気ままな旅も、ロックンロールも、フリーセックスも、ドラッグでのトリップも結構恵まれた奴らにだけ与えられたものでもあったのだろう。
 デニス・ホッパーとピーター・フォンダを撃ち殺した赤ら顔の南部の中年親父はきっとブスな嫁さんと暮らしているだろうし、息子は低学歴でベトナムの戦場で泥の中を這いずり回っているか既に戦死したりしていたのかもしれない。
 色々と考えさせてくれるという意味でもこれはやっぱり優れた作品なのだろうと思う。 
 


[48] Rancidが来るぞぉぉぉ!!! 投稿者:マイケル 投稿日:2003/08/27(Wed) 14:28  

Rancidが来るぞ!!!パンクの神様が来るぞ!アルバムみんな買いなさい!俺は一人暮らし始めたよーん!極貧です!テレビないです。ネット出来ないです。でも、応援するよーん!じゃあねー!


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