誰でも日記過去ログ
001〜007



[7] おれも雑感 投稿者:131 投稿日:2003/02/04(Tue) 21:28  

YAMAさんが「突入せよ!」について書いていることはおれも同感する部分があるので嬉しかった。
そう、あの映画をイデオロギーの面から評価する人が結構いるようだが、そういうのはおれもおかしいと思ってるというか・・・正直全然駄目な見方だと思うんです。
おれはYAMAさんと同世代だから、「体制」「反体制」というものが相対的なもの(結局は意味無い区別)だということを知っている世代だし、新左翼の誤謬というものをかなり検証してきた世代でもあるわけです。
映画ってものは、「体制」側だろうが「反体制」側だろうが、それはどうでもよくて、「そのような状況」に置かれた人間の「反応」を描くものだと思っています。
「突入せよ!」は撮影技術的な面では「光の雨」よりずっと見るべき点があるとおれは思っているし、あのレベルで「銃撃戦」の映像を造形できたということは、長谷川和彦の「連合赤軍」にも参考になる部分はあると思う。
それをイデオロギー的な面で全否定してしまうのでは、見るべき点を見ないことになってしまう。
ラスタマンさんが紹介している「映画芸術」という雑誌は十年以上読んでいないが、元新左翼の映画関係者がいまだに幅を利かせているんだなあと、昔と変わんねえんだな、と思います。
松田政男とか。
おれはあの雑誌のそういうスタンスの匂いが嫌で読まなくなったんですけど。
おれも「光の雨」を批判しますが、それはイデオロギー的な部分でどうこう言ってるのではなくて、単に作品のクオリティー(主に映像表現)の低さを批判するのです。


[6] 雑感 投稿者:YAMA 投稿日:2003/02/04(Tue) 00:45  

「突入せよ!」を”機動隊御用映画”とか言って、
体制側を描いてるからという理由で批判するのはどうなんだろう?
(もちろん気持ちは充分わかるんだけど)
単に”大きな組織が急に機敏な動きを要求された際の右往左往する人
間模様から生まれてくるドラマ、そのダイナミズムなり喜劇性なりを娯楽映画”にすることに失敗しているつまらん映画だと思う。
なんかあの監督、映画の評価が低い理由を体制側を描いてるせいだ
と考えてるふしがあるんで、ちょっと気になった。

ベストテンと言えば、キネ旬のべストテン一位は、山田洋次の
映画なんだね。2002年にもなって山田洋次が一位になるなんて
20年前には思いもしなかったな。ホント21世紀ってこないん
だなと改めて思う。イエスタデイ・ワンス・モアの陰謀か?




[5] ウィークエンド・ラブ 第57回−1 投稿者:ラスタマン 投稿日:2003/02/03(Mon) 00:43  

 1月20日〜1月26日

 「キネマ旬報」等を取り置きしてもらっている近所の大型ショッピングセンターの中にあるさほど大きくない書店に「映画芸術」があった。
 この辺の書店で、「映画芸術」を置いてあるのは始めて見た。
 何故、急に置き始めたのだろうと考えてふと前の号の「総力特集 相米慎二」のを取り寄せしたことを思い出した。
 あれがきっかけで置き始めたのは間違いないと考え、ならばと“嬉しい責任感”でもって購入して来た。
 特集は「2002年度 日本映画ベストテン・ワーストテン」。
 2本の連合赤軍モノに注目した。
 「光の雨」がベストの8位とワーストの6位、「突入せよ!『あさま山荘』事件」がワーストの2位でベストテンには誰一人投票していない。 
 この雑誌の選評は字数制限を決めていないようで長文の熱の入った文章が多くて興味深い。
 「突入せよ!――」については、松田政男が「機動隊御用映画を臆面もなく撮った原田眞人に呼ばれて、嬉々として警察官僚を演じていた往年のアングラ演劇の役者連が私には情けなく」と書く。
 「光の雨」については、福間健二が「悩む監督と擬似シネマヴェリテが気持ち悪い」と書き、松田政男は「天下国家を論じ損ねつつ圏外(ワーストの)に去らしめたのは古風にも主題の積極性を買ったからだ」と書き、渡辺武信「同世代として避けることの困難な問題の映画化に敢えて取り組んで、三重構造という一種の逃げを打ちながらも、とにかく作品を完成させ、この問題を考え直す状況を作り出した高橋伴明の映画作家としてのスタンスに拍手を送りたい。」と書いている。
 どうやら「光の雨」は完成度とか内容より以前に作られたことそのことが評価されているようでもある。
 最も明確に興味深くそのことを語っているのが寺脇研。
 ベストワンに「光の雨」、ワーストワンに「突入せよ――」とはっきりと明暗をつけた選出をしている。
 「突入せよ!」については、「『社会派』などと呼ばれるだけの、社会の在り方や歴史に対する尖鋭な問題意識など皆無なのである。もちろん、作者側も確信犯でそのつもりだろう。大きな組織が急に機敏な動きを要求された際の右往左往する人間模様から生まれてくるドラマ、そのダイナミズムなり喜劇性なりを娯楽映画にしたかったとしか思えない。それを、警察庁長官だの○○局長だの官職名や後藤田正晴、佐々淳行などの実名もどきが出ると『社会派ドラマ』だと思い込むなど、おめでたい限りだ。」と書き、「光の雨」については、「映画中映画という構造をとることで事件を相対化し、評価を観る者の主観に委ねているのを、高く評価したい。作者の価値観の押しつけという『社会派』の悪しき形に陥ることなく、連合赤軍事件という思いテーマを提示しきれた。全共闘世代から不評なのはむしろ誇るべきことであり、後から来た世代にこの事件を伝え、考えさせた手柄の方がはるかに大きいのである。」と書く。
 やはり「光の雨」は「連合赤軍事件」を紹介したということだけで評価されているとしか思えない。
 そのような理由で「光の雨」が評価を受けているのであれば、このゴジサイトに長く関わりつづけ連合赤軍事件について考えて来ざるを得なかった者にとっては「光の雨」が物足りないものであるのはあたりまえなのかもしれない。
 確かに「光の雨」は問題提起に意義があったのだとしよう。
 そしてそれが評価されることを良しとしよう。
 しかし、問題提起は二度やる必要はない。
 「社会派」とか勝手に名付けるのは評論家達で、作る側はそんなことを意識してはいまい。
 ゴジは「連合赤軍」に個人の思い入れをぶち込むのみでいいのだ。
 「作者の価値観の押しつけという『社会派』の悪しき形に陥る」ことを恐れて映画など作れるか!
 表現するに値することは、他からはどう言われようと「自分にはこれしかない」「自分はこの言葉にしがみついて生きるしかない」というところまでいった“祈り”としか呼びようのない感情なのだ。
 あの時代を生き、暗い山で道に迷ってしまった人間達に触れ合う言葉はそこからしか出てこないと思う。

    ―――つづく―――



[4] 雪と雨の間 投稿者:131 投稿日:2003/01/23(Thu) 22:02  

降雪の気配。
火曜日の朝、目覚めたら雪景色で驚いたばかりだというのに。
よりによって仕事の関係で、調査のため県北の数箇所を回らなければならない。
案の定、クルマで出発してほどなく、パラパラ始まった。
本格的降りへ。
クルマで走ると降雪の光景が変容する。
舞い上がるようにしてフロントガラスにぶつかり続ける埃のようなゴミのような雪と、遠景で規則正しく振り続ける純白の綺麗な降雪、そのコントラストが面白い。
降りしきる雪の中をクルマでガンガン進んでいくのは一種爽快だ。
スタッドレスは素晴らしい発明。
事故で立ち往生しているクルマも目撃する。
帰り道、雪の量が変わっていくのも面白かった。
途中から雪が雨に変わり、雪の量が変わり、出発地点の地方都市ではほとんど雪は残っていなかった。
同じ県内でも場所によって天候の差異が甚だしいのを今更ながら実感。
帰宅。
その地方都市の隣町、雪若干多し。
家の周りを雪かき。
雨を含んでグシャグシャの雪。
重い。
これもやっかい。
雪かきしても濡れた路面。
これが明日の朝、カチカチに凍結してアイス盤に。
転倒して怪我する者や事故車の頻発は必至。

雪ってのもいろいろな顔がある。


[3] ウィークエンド・ラブ 第56回−4 投稿者:ラスタマン 投稿日:2003/01/22(Wed) 01:13  

 「レプリカント」(01年 米)
 子を持つ母親ばかりを狙って連続殺人を犯し、現場に火を放つという凶悪犯の動機に注目したいと思って見ていたのだが、そんなことはどうでもよく犯人の毛髪から再生したというクローン人間レプリカントとと犯人とのノータリンアクションになってしまってゲンナリした。
 
 「D−TOX」(02年 米)
 雪に閉ざされた警察官専用のリハビリ施設での連続殺人というシチュエーションの面白さだけ。

 「スパイキッズ」(01年 米)
 こんなお子様ランチも器用に作ってしまえるロバート・ロドリゲスに驚いた。
 しかし「エル・マリアッチ」(92年)を見た時のような期待感はもうこの人にはない。

 「バーティカル・リミット」(00年 米)
 昔、ガストン・レビュファの「星にのばされたザイル」(61年)を見て、足のすくむ思いをしながら興奮した。
 この作品も「恐怖の報酬」の雪山山岳映画版といった感じで頑張っているのだが、「ジュラシック・パーク」等のCGを駆使したSFX映画を体験して来た者にとっては、「星にのばされたザイル」の時代のような興奮はなく、「何処をCGでやったのかなあ?」などという視点で見てしまっていけない。
 メイキングを見てスコット・グレンなんて、そうとう体を張った撮影をやって頑張っているのを知った。
 しかし、メイキングを見なければそれがわからないなんていうことはSFXの発達した時代の不幸なのかもしれない。
 
 「ヴァイラス」(98年 米)

 「冒険者たち」(67年 仏)
 DVDで2980円になっていたので買って、久々の再会をした。
 何度見ても最高!

 「Love Letter」(95年 フジテレビジョン)
 見るのは3回目。
 これも何度見ても好きな作品だ。
 山で遭難した今はこの世にいない男の中学時代の届かなかった思いに胸が切なくなる。
 届かなかった思いだけが本当の思いなのだ。

 「リリイ・シュシュのすべて」(01年 ロックウェルアイズ)
 私自身、この映画に負けないくらい暗くデスペレートな中学時代を送った人間なので、これをもって“14歳のリアル”と言いたい気分がわからないわけではない。
 しかし、だからこそこんなもんをドキュメントタッチで描き出して何なんだといいたい気分もある。
 ある意味この作品は本当に死にたいほど追い詰められた経験のない人が、それ故に憧れる暗い絶望的な世界を余裕を持って見る為の作品なのだとも思える。
 「アンジェラの灰」(99年)の時に書いたように映画という多数の人間の手によって作られるどこか祝祭的な気分のある表現手段が追求すべきテーマではないと思う。
 実際にいじめやら引き篭もりの渦中にある中学生はこんな映画など望んじゃいないだろう。
 この映画の蓮見雄一のようないじめられっこが見たいのは、「燃えよドラゴン」であり、「ロッキー」であり、「ダイ・ハード」であり、「わらの犬」であり、「ワイルドバンチ」であり、「ガルシアの首」であり、「太陽を盗んだ男」であり、「狂い咲きサンダーロード」であり、「女囚さそり けもの部屋」といった作品であるはずなのだ。
 作り手は、そういう中学生に、「自分の世界がここにある」と共感してほしいと望んで作っているとは思えないのだ。
 この作品はそんな中学生の為にあるのではなく、映画のベストテンを選んだり、映画賞の選考委員をやったりもする余裕を持った大人たちの為に存在しているのだ。
 そういう有り様が気に入らない。
 さらに、こんなにセリフの聞き取り難かった作品は、劇場で封切りで見てその為にストーリーもさっぱりわからなかった「アフリカの光」以来だ。
 そしてこの映画の“痛み”を自らの“痛み”として受け止めたあなたは今、どんな大人になりどんな風に生きているのだろうか?

 「隣のヒットマン」(00年 米)

 「ラブ・レター」(98年 松竹)

 「パトリオット」(00年 米)

 「ヴィドック」(01年 仏)

 19日の日曜日、「部屋をかたづけなきゃなあ」と考えながらも気乗りがせず、パソコンの前から離れられずにいた。
 そして、以前、べあさんからノートパソコンが壊れた時に送っていただいた「誰でも日記」の初期の頃のをものを読み始めた。
 私がまだこの「誰でも日記」に書き出す前の2001年5月27日に先日「刑事コロンボ 〜太陽を盗んだ男〜」をここに投稿していたまめかわさんの書き込みがあった。
 bP4だからまだ「誰でも日記」が始まったばかりの頃だ。
 「これも単なるナルシズムだろう」と題されたその書き込みを私はとても感動的に読んだ。
 それで、ぜひここにもう一度再現させていただきたい。
 

[14] これも単なるナルシズムだろう

投稿者名: まめかわ
投稿日時: 2001年5月27日 18時37分

田舎の田んぼばかりの街で、高校生の私は将来、映画の仕事に就きたいと思った。
高三の夏。今村昌平さんの学校に体験入学にいった。目の前に今村さんがいることが信じられなかった。
周りの人達は8ミリフィルムがどうのと話していた。8ミリなんて見たこともなかった。田舎者だった。
電車の乗り方も知らなかった。電車を降りて、改札を通る時、切符を渡す事を知らず、そのまま通った。駅員が私を呼び止め、睨みつけた。
パンフレットには前年の倍率が2-3倍と書いてあった。落ちると思った。諦めた。
地方都市の映像の専門学校に入った。バカばかりだと思った。
卒業が近づいた。講師の方が、東京で助監督をしている人の電話番号を教えてくれた。
でも、行かなかった。監督になりたいんだ。いつか、誰かが認めてくれる。貧しくて、無名で、無知な私を。
私は、16ミリで映画を撮りはじめた。20分の短編。ダメだった。そのスタッフと結婚した。23歳だった。
仕事を転々としながら日々は過ぎていった。時には自主映画を撮ると言ってみたり、サラリーマンに落ち着くと言ってみたり。今村さんの学校のパンフレットと捨てた。
今、28歳になった。脚本で勝負と思っている。もう、28歳になった。
先日、テレビで、人命救助の隊員を見ていた。それに比べ、私は何をしているのだろう?
私は、何の為に映画と志していたのだろう?自分の為かもしれない。
しかし、隊員は自分を捨てている。自分の為の映画なんて、隊員に笑われるだろうな。
人の為の脚本を考え始めた。自我をとりあえず捨てよう。妻は読んで、今までよりいいと言ってくれた。
もう少し、がんばってみようと思う。撮りたい映画の企画はたくさんある。いつか、映画にしたい。田舎者のねばり腰で、諦めず。今でも、今村さんの言った事はおぼえている。もう、フラフラだけど、もう少し、がんばってみます。
 
 がんばれ、まめかわさん!


[2] 新「誰でも日記」スタート!! 投稿者:べあ 投稿日:2003/01/21(Tue) 00:29   <URL>

ヤマノウチさんが新しい「誰でも日記」掲示板を作ってくれました。
上部の金魚がニクイ!!

.....ということで ただ今より
「誰でも日記」はこちらをお使いいただき
「日記」「エッセイ」「ひとりごと」「男のため息」「女の吐息」。。。など
じゃんじゃんお書きください。

P.S.
過去ログ(旧「誰でも日記」掲示板)は
2月いっぱいまで 以下に存続しています。



[1] 最大投稿量の目安はこれくらい。 投稿者:梶井基次郎  投稿日:2003/01/20(Mon) 00:19   <URL>

ある午後

「高いとこの眺めは、アアッ(と咳(せき)をして)また格段でごわすな」
 片手に洋傘(こうもり)、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗(きれい)に禿(は)げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓(せん)をはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたまま峻(たかし)の脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望(ちょうぼう)へ向けたままで、さもやれやれ[#「やれやれ」に傍点]といったふうに石垣のはなのベンチヘ腰をかけた。――
 町を外(はず)れてまだ二里ほどの間は平坦な緑。I 湾の濃い藍(あい)が、それのかなたに拡がっている。裾(すそ)のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲が水平線の上に静かに蟠(わだかま)っている。――
「ああ、そうですな」少し間誤(まご)つきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉(のど)や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんの拘(こだわ)りもしらないようなその老人に対する好意が頬(ほほ)に刻まれたまま、峻(たかし)はまた先ほどの静かな展望のなかへ吸い込まれていった。――風がすこし吹いて、午後であった。

 一つには、可愛(かわい)い盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者めいた感慨から、峻はまだ五七日を出ない頃の家を出てこの地の姉の家へやって来た。
 ぼんやりしていて、それが他所(よそ)の子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。
「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」
 そんなことまで思っている。
 彼女がこと[#「こと」に傍点]切れた時よりも、火葬場での時よりも、変わった土地へ来てするこんな経験の方に「失った」という思いは強く刻まれた。
「たくさんの虫が、一匹の死にかけている虫の周囲に集まって、悲しんだり泣いたりしている」と友人に書いたような、彼女の死の前後の苦しい経験がやっと薄い面紗(ヴェイル)のあちらに感ぜられるようになったのもこの土地へ来てからであった。そしてその思いにも落ちつき、新しい周囲にも心が馴染(なじ)んで来るにしたがって、峻には珍しく静かな心持がやって来るようになった。いつも都会に住み慣れ、ことに最近は心の休む隙もなかった後で、彼はなおさらこの静けさの中でうやうやしくなった。道を歩くのにもできるだけ疲れないように心掛ける。棘(とげ)一つ立てないようにしよう。指一本詰めないようにしよう。ほんの些細(ささい)なことがその日の幸福を左右する。――迷信に近いほどそんなことが思われた。そして旱(ひでり)の多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがるたびごとにやや秋めいたものが肌に触れるように気候もなって来た。
 そうした心の静けさとかすかな秋の先駆は、彼を部屋の中の書物や妄想(もうそう)にひきとめてはおかなかった。草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、ひそかに抑えて来た心を燃えさせる、――ただそのことだけが仕甲斐(しがい)のあることのように峻(たかし)には思えた。

「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんなことが書いてあった。着いた翌日の夜。義兄と姉とその娘と四人ではじめてこの城跡へ登った。旱(ひでり)のためうんか[#「うんか」に傍点]がたくさん田に湧いたのを除虫燈で殺している。それがもうあと二三日だからというので、それを見にあがったのだった。平野は見渡す限り除虫燈の海だった。遠くになると星のように瞬(またた)いている。山の峡間(はざま)がぼう[#「ぼう」に傍点]と照らされて、そこから大河のように流れ出ている所もあった。彼はその異常な光景に昂奮(こうふん)して涙ぐんだ。風のない夜で涼みかたがた見物に来る町の人びとで城跡は賑(にぎ)わっていた。暗(やみ)のなかから白粉(おしろい)を厚く塗った町の娘達がはしゃいだ眼を光らせた。

 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍(いらか)を並べていた。
 白堊(はくあ)の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑(くず)めいて、緑色の植物が家々の間から萌(も)え出ている。ある家の裏には芭蕉(ばしょう)の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好(かっこう)に刈られた松も見える。みな黝(くろず)んだ下葉と新しい若葉で、いいふうな緑色の容積を造っている。
 遠くに赤いポストが見える。
 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。
 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。――
 夜になると火の点(つ)いた町の大通りを、自転車でやって来た村の青年達が、大勢連れで遊廓(ゆうかく)の方へ乗ってゆく。店の若い衆なども浴衣がけで、昼見る時とはまるで異ったふうに身体をくねらせながら、白粉を塗った女をからかってゆく。――そうした町も今は屋根瓦の間へ挾まれてしまって、そのあたりに幟(のぼり)をたくさん立てて芝居小屋がそれと察しられるばかりである。
 西日を除けて、一階も二階も三階も、西の窓すっかり日覆(ひおおい)をした旅館がやや近くに見えた。どこからか材木を叩く音が――もともと高くもない音らしかったが、町の空へ「カーン、カーン」と反響した。
 次つぎ止まるひまなしにつくつく[#「つくつく」に傍点]法師が鳴いた。「文法の語尾の変化をやっているようだな」ふとそんなに思ってみて、聞いていると不思議に興が乗って来た。「チュクチュクチュク」と始めて「オーシ、チュクチュク」を繰り返す、そのうちにそれが「チュクチュク、オーシ」になったり「オーシ、チュクチュク」にもどったりして、しまいに「スットコチーヨ」「スットコチーヨ」になって「ジー」と鳴きやんでしまう。中途に横から「チュクチュク」とはじめるのが出て来る。するとまた一つのは「スットコチーヨ」を終わって「ジー」に移りかけている。三重四重、五重にも六重にも重なって鳴いている。
 峻(たかし)はこの間、やはりこの城跡のなかにある社(やしろ)の桜の木で法師蝉(ほうしぜみ)が鳴くのを、一尺ほどの間近で見た。華車(きゃしゃ)な骨に石鹸玉のような薄い羽根を張った、身体の小さい昆虫(こんちゅう)に、よくあんな高い音が出せるものだと、驚きながら見ていた。その高い音と関係があると言えば、ただその腹から尻尾(しっぽ)へかけての伸縮であった。柔毛(にこげ)の密生している、節を持った、その部分は、まるでエンジンのある部分のような正確さで動いていた。――その時の恰好が思い出せた。腹から尻尾へかけてのブリッとした膨(ふく)らみ。隅(すみ)ずみまで力ではち切ったような伸び縮み。――そしてふと蝉一匹の生物が無上にもったいないものだという気持に打たれた。
 時どき、先ほどの老人のようにやって来ては涼をいれ、景色を眺めてはまた立ってゆく人があった。
 峻がここへ来る時によく見る、亭(ちん)の中で昼寝をしたり海を眺めたりする人がまた来ていて、今日は子守娘と親しそうに話をしている。
 蝉取竿(せみとりざお)を持った子供があちこちする。虫籠を持たされた児(こ)は、時どき立ち留まっては籠の中を見、また竿の方を見ては小走りに随(つ)いてゆく。物を言わないでいて変に芝居のようなおもしろさが感じられる。
 またあちらでは女の子達が米つきばった[#「米つきばった」に傍点]を捕えては、「ねぎさん米つけ、何とか何とか」と言いながら米をつかせている。ねぎさん[#「ねぎさん」に傍点]というのはこの土地の言葉で神主(かんぬし)のことを言うのである。峻(たかし)は善良な長い顔の先に短い二本の触覚を持った、そう思えばいかにも神主めいたばった[#「ばった」に傍点]が、女の子に後脚を持たれて身動きのならないままに米をつくその恰好が呑気(のんき)なものに思い浮かんだ。
 女の子が追いかける草のなかを、ばったは二本の脚を伸ばし、日の光を羽根一ぱいに負いながら、何匹も飛び出した。
 時どき烟(けむり)を吐く煙突があって、田野はその辺(あた)りから展(ひら)けていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。
 黝(くろ)い木立。百姓家。街道。そして青田のなかに褪赭(たいしゃ)の煉瓦(れんが)の煙突。
 小さい軽便が海の方からやって来る。
 海からあがって来た風は軽便の煙を陸の方へ、その走る方へ吹きなびける。
 見ていると煙のようではなくて、煙の形を逆に固定したまま玩具の汽車が走っているようである。
 ササササと日が翳(かげ)る。風景の顔色が見る見る変わってゆく。
 遠く海岸に沿って斜に入り込んだ入江が見えた。――峻はこの城跡へ登るたび、幾度となくその入江を見るのが癖になっていた。
 海岸にしては大きい立木が所どころ繁っている。その蔭にちょっぴり人家の屋根が覗(のぞ)いている。そして入江には舟が舫(もや)っている気持。
 それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心を惹(ひ)くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。
 なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。
 たとえばそれを故のない淡い憧憬(しょうけい)と言ったふうの気持、と名づけてみようか。誰かが「そうじゃないか」と尋ねてくれたとすれば彼はその名づけ方に賛成したかもしれない。しかし自分では「まだなにか」という気持がする。
 人種の異ったような人びとが住んでいて、この世と離れた生活を営んでいる。――そんなような所にも思える。とはいえそれはあまりお伽話(とぎばなし)めかした、ぴったりしないところがある。
 なにか外国の画で、あそこに似た所が描いてあったのが思い出せないためではないかとも思ってみる。それにはコンステイブルの画を一枚思い出している。やはりそれでもない。
 ではいったい何だろうか。このパノラマ風の眺めは何に限らず一種の美しさを添えるものである。しかし入江の眺めはそれに過ぎていた。そこに限って気韻が生動している。そんなふうに思えた。――
 空が秋らしく青空に澄む日には、海はその青よりやや温い深青に映った。白い雲がある時は海も白く光って見えた。今日は先ほどの入道雲が水平線の上へ拡がってザボンの内皮の色がして、海も入江の真近までその色に映っていた。今日も入江はいつものように謎をかくして静まっていた。
 見ていると、獣のようにこの城のはなから悲しい唸(うなり)声を出してみたいような気になるのも同じであった。息苦しいほど妙なものに思えた。
 夢で不思議な所へ行っていて、ここは来た覚えがあると思っている。――ちょうどそれに似た気持で、えたいの知れない想い出が湧いて来る。
「ああかかる日のかかるひととき」
「ああかかる日のかかるひととき」
 いつ用意したとも知れないそんな言葉が、ひらひらとひらめいた。――
「ハリケンハッチのオートバイ」
「ハリケンハッチのオートバイ」
 先ほどの女の子らしい声が峻(たかし)の足の下で次つぎに高く響いた。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がきこえていた。
 この町のある医者がそれに乗って帰って来る時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子は我勝ちに「ハリケンハッチのオートバイ」と叫ぶ。「オートバ」と言っている児もある。
 三階の旅館は日覆をいつの間にか外(はず)した。
 遠い物干台の赤い張物板ももう見つからなくなった。
 町の屋根からは煙。遠い山からは蜩(ひぐらし)。

手品と花火

 これはまた別の日。
 夕飯と風呂を済ませて峻(たかし)は城へ登った。
 薄暮の空に、時どき、数里離れた市で花火をあげるのが見えた。気がつくと綿で包んだような音がかすかにしている。それが遠いので間の抜けた時に鳴った。いいものを見る、と彼は思っていた。
 ところへ十七ほどを頭(かしら)に三人連れの男の児が来た。これも食後の涼みらしかった。峻に気を兼ねてか静かに話をしている。
 口で教えるのにも気がひけたので、彼はわざと花火のあがる方を熱心なふりをして見ていた。
 末遠いパノラマのなかで、花火は星水母(くらげ)ほどのさやけさに光っては消えた。海は暮れかけていたが、その方はまだ明るみが残っていた。
 しばらくすると少年達もそれに気がついた。彼は心の中で喜んだ。
「四十九」
「ああ。四十九」
 そんなことを言いあいながら、一度あがって次あがるまでの時間を数えている。彼はそれらの会話をきくともなしに聞いていた。
「××ちゃん。花は」
「フロラ」一番年のいったのがそんなに答えている。――

 城でのそれを憶い出しながら、彼は家へ帰って来た。家の近くまで来ると、隣家の人が峻(たかし)の顔を見た。そして慌(あわ)てたように
「帰っておいでなしたぞな」と家へ言い入れた。
 奇術が何とか座にかかっているのを見にゆこうかと言っていたのを、峻がぽっと出てしまったので騒いでいたのである。
「あ。どうも」と言うと、義兄(あに)は笑いながら
「はっきり言うとかんのがいかんのやさ」と姉に背負わせた。姉も笑いながら衣服を出しかけた。彼が城へ行っている間に姉も信子(義兄の妹)もこってり化粧をしていた。
 姉が義兄に
「あんた、扇子は?」
「衣嚢(かくし)にあるけど……」
「そうやな。あれも汚れてますで……」
 姉が合点合点などしてゆっくり捜しかけるのを、じゅうじゅうと音をさせて煙草を呑(の)んでいた兄は
「扇子なんかどうでもええわな。早う仕度(したく)しやんし」と言って煙管(きせる)の詰まったのを気にしていた。
 奥の間で信子の仕度を手伝ってやっていた義母(はは)が
「さあ、こんなはどうやな」と言って団扇(うちわ)を二三本寄せて持って来た。砂糖屋などが配って行った団扇である。
 姉が種々と衣服を着こなしているのを見ながら、彼は信子がどんな心持で、またどんなふうで着付けをしているだろうなど、奥の間の気配に心をやったりした。
 やがて仕度ができたので峻(たかし)はさきへ下りて下駄を穿(は)いた。
「勝子(姉夫婦の娘)がそこらにいますで、よぼってやっとくなさい」と義母が言った。
 袖の長い衣服を着て、近所の子らのなかに雑っている勝子は、呼ばれたまま、まだなにか言いあっている。
「『カ』ちうとこへ行くの」
「かつどうや」
「活動や、活動やあ」と二三人の女の子がはやした。
「ううん」と勝子は首をふって
「『ヨ』ちっとこへ行くの」とまたやっている。
「ようちえん?」
「いやらし。幼稚園、晩にはあれへんわ」
 義兄が出て来た。
「早うお出(い)でな。放っといてゆくぞな」
 姉と信子が出て来た。白粉(おしろい)を濃くはいた顔が夕暗(ゆうやみ)に浮かんで見えた。さっきの団扇(うちわ)を一つずつ持っている。
「お待ち遠さま。勝子は。勝子、扇持ってるか」
 勝子は小さい扇をちらと見せて姉に纏(まと)いつきかけた。
「そんならお母さん、行って来ますで……」
 姉がそう言うと
「勝子、帰ろ帰ろ言わんのやんな」と義母は勝子に言った。
「言わんのやんな」勝子は返事のかわりに口真似をして峻(たかし)の手のなかへ入って来た。そして峻は手をひいて歩き出した。
 往来に涼み台を出している近所の人びとが、通りすがりに、今晩は、今晩は、と声をかけた。
「勝ちゃん。ここ何てとこ[#「とこ」に傍点]?」彼はそんなことを訊(き)いてみた。
「しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「ううん、しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「しょう―せん―かく」
「朝―鮮―閣?」
「うん」と言って彼の手をぴしゃと叩(たた)いた。
 しばらくして勝子から
「しょうせんかく」といい出した。
「朝鮮閣」
 牴牾(もどか)しいのはこっちだ、といったふうに寸分違わないように似せてゆく。それが遊戯になってしまった。しまいには彼が「松仙閣」といっているのに、勝子の方では知らずに「朝鮮閣」と言っている。信子がそれに気がついて笑い出した。笑われると勝子は冠を曲げてしまった。
「勝子」今度は義兄の番だ。
「ちがいますともわらびます」
「ううん」鼻ごえをして、勝子は義兄を打つ真似をした。義兄は知らん顔で
「ちがいますともわらびます。あれ何やったな。勝子。一遍峻(たかし)さんに聞かしたげなさい」
 泣きそうに鼻をならし出したので信子が手をひいてやりながら歩き出した。
「これ……それから何というつもりやったんや?」
「これ、蕨(わらび)とは違いますって言うつもりやったんやなあ」信子がそんなに言って庇護(かば)ってやった。
「いったいどこの人にそんなことを言うたんやな?」今度は半分信子に訊(き)いている。
「吉峰さんのおじさんにやなあ」信子は笑いながら勝子の顔を覗いた。
「まだあったぞ。もう一つどえらい[#「どえらい」に傍点]のがあったぞ」義兄がおどかすようにそう言うと、姉も信子も笑い出した。勝子は本式に泣きかけた。
 城の石垣に大きな電灯がついていて、後ろの木々に皎々(こうこう)と照っている。その前の木々は反対に黒ぐろとした蔭(かげ)になっている。その方で蝉がジッジジッジと鳴いた。
 彼は一人後ろになって歩いていた。
 彼がこの土地へ来てから、こうして一緒に出歩くのは今夜がはじめてであった。若い女達と出歩く。そのことも彼の経験では、きわめて稀(まれ)であった。彼はなんとなしに幸福であった。
 少し我(わ)が儘(まま)なところのある彼の姉と触れ合っている態度に、少しも無理がなく、――それを器用にやっているのではなく、生地(きじ)からの平和な生まれ付きでやっている。信子はそんな娘であった。
 義母などの信心から、天理教様に拝んでもらえと言われると、素直に拝んでもらっている。それは指の傷だったが、そのため評判の琴も弾かないでいた。
 学校の植物の標本を造っている。用事に町へ行ったついでなどに、雑草をたくさん風呂敷へ入れて帰って来る。勝子が欲しがるので勝子にも頒(わ)けてやったりなどして、独(ひと)りせっせとおし[#「おし」に傍点]をかけいる。
 勝子が彼女の写真帖を引き出して来て、彼のところへ持って来た。それを極(き)まり悪そうにもしないで、彼の聞くことを穏やかにはきはきと受け答えする。――信子はそんな好もしいところを持っていた。
 今彼の前を、勝子の手を曳(ひ)いて歩いている信子は、家の中で肩縫揚げのしてある衣服を着て、足をにょきにょき出している彼女とまるで違っておとな[#「おとな」に傍点]に見えた。その隣に姉が歩いている。彼は姉が以前より少し痩せて、いくらかでも歩き振りがよくなったと思った。
「さあ。あんた。先へ歩いて……」
 姉が突然後ろを向いて彼に言った。
「どうして」今までの気持で訊(き)かなくともわかっていたがわざと彼はとぼけて見せた。そして自分から笑ってしまった。こんな笑い方をしたからにはもう後ろから歩いてゆくわけにはゆかなくなった。
「早う。気持が悪いわ。なあ。信ちゃん」
「……」笑いながら信子も点頭(うなず)いた。

 芝居小屋のなかは思ったように蒸し暑かった。
 水番というのか、銀杏返(いちょうがえ)しに結った、年の老(ふ)けた婦(おんな)が、座蒲団を数だけ持って、先に立ってばたばた敷いてしまった。平場(ひらば)の一番後ろで、峻(たかし)が左の端、中へ姉が来て、信子が右の端、後ろへ兄が座った。ちょうど幕間(まくあい)で、階下は七分通り詰まっていた。
 先刻の婦(おんな)が煙草盆を持って来た。火が埋(うず)んであって、暑いのに気が利かなかった。立ち去らずにぐずぐずしている。何と言ったらいいか、この手の婦(おんな)特有な狡猾(ずる)い顔付で、眼をきょろきょろさせている。眼顔(めがお)で火鉢を指したり、そらしたり、兄の顔を盗み見たりする。こちらが見てよくわかっているのにと思い、財布の銀貨を袂(たもと)の中で出し悩みながら、彼はその無躾(ぶしつけ)に腹が立った。
 義兄は落ちついてしまって、まるで無感覚である。
「へ、お火鉢」婦(おんな)はこんなことをそわそわ言ってのけて、忙しそうに揉(もみ)手をしながらまた眼をそらす。やっと銀貨が出て婦(おんな)は帰って行った。
 やがて幕があがった。
 日本人のようでない、皮膚の色が少し黒みがかった男が不熱心に道具を運んで来て、時どきじろじろと観客の方を見た。ぞんざいで、おもしろく思えなかった。それが済むと怪しげな名前の印度(インド)人が不作法なフロックコートを着て出て来た。何かわからない言葉で喋(しやべ)った。唾液をとばしている様子で、褪(さ)めた唇の両端に白く唾がたまっていた。
「なんて言ったの」姉がこんなに訊(き)いた。すると隣のよその人も彼の顔を見た。彼は閉口してしまった。
 印度人は席へ下りて立会人を物色している。一人の男が腕をつかまれたまま、危う気な羞笑(はじわらい)をしていた。その男はとうとう舞台へ連れてゆかれた。
 髪の毛を前へおろして、糊の寝た浴衣を着、暑いのに黒足袋を穿(は)いていた。にこにこして立っているのを、先ほどの男が椅子(いす)を持って来て坐らせた。




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